合唱発表会

子供の合唱発表会を見に行った。

私が中学生の頃には、学校の行事に親が参観に来ることはなかったし、部活の大会でも見に来ない方が普通だった。今は何でも親が参観することになっていて、いまだに違和感がぬぐえない。

うちの子は私に見に来て欲しがる。

なんと物好きな。

久しぶりに小ぎれいにしてバスに電車を乗り継いで出かけてきた。

今日は緑のセーターを着て、ベージュのパンツ。今一番やりたかった樹木ファッションだ。モミジになると、たぶん目立つので子供もさすがに嫌がるだろうからグリーンにした。

会場で子供たちの歌を聴いていたら、一生懸命歌っている姿はやはりまだまだ子供らしい。みんなでお母さんの作ってくれたお弁当を食べて、みんなでお母さんに見てもらって歌を歌って。

これがあと数年で成人するのかしらと思うと、なんとも不安になる。

恐ろしい世の中。

悪いことを考えている人がターゲットにするんだろうなぁ。

数年後がマジデコワイ。

 

子供たちの歌を聴いていたら、なんだか青春真っただ中という感じがした。ふと、自分の青春の時がよみがえってた。あれは本当に生臭いものだった。

そして、自分の青春はもうすっかり遠くなってしまったんだなぁとしみじみ感じた。

青春よりも、もう死期の方が近い。

そう気づいて、自分の人生、どうだったんだろうなどと物思いする。

後悔はいっぱいある。

けど、同じ環境であれば、何度生きなおしたとしても多分同じように生きてきたと思う。

そういう風に、自分という人間は生まれついた。

仕方がない。

そういいながら死んでくのかもしれない。

まあ、しょうがない。

とうとう、中学校の行事は終わってしまった。

後は受験しかなく、未だに嫌だいやだとごねている。

いい加減観念したらいいのに。

中学高校くらいで歌った歌は、そのときわからなくても、後からしみじみしみてくる歌もある。

クラスの仲間と歌ったときに聞こえてきた声は、もう聞くことはできないけれど、ずっと耳に残って響くと思う。

 

人は信じるもの。

お題「自分を励ます言葉」

 

人は信じるもの。

人としてこの世に生まれたのだから、まず、人は信頼する。

そういうものだから。

 

というようなことを、ときどき確認しています。

 

人目を気にして、とか、悪く思われてしまうのでは、とか、噂になってしまうかも、とか、

そういう不信感を振り払っています。

人に対する不信感を取り払うと、思っていることを、実際に行動に移しやすくなります。

堂々として自分でいられるようになる。

 

いろいろな受け止め方をする人がいるので、悪く受け取る人も出てはきますが、自分が自分でいられれば、変な風に見られても特に気にならなくもなります。

 

人は信じるもの、と思います。

ワクチン4回目接種後 翌々日

朝、37.5度くらい。

もうおさまったと思い、カレーを食べたらおなかが痛くなってしまった。

そのあとは、薄めのホットカルピスを飲んで空腹をしのいだ。

日中は間欠的に38度台まで発熱。

昨日一日中寝ていたせいか、体中が痛む。

昨日はすぐ眠ってしまったけれど、今日は日中はずっと起きていられた。

少し体を動かした方がいいかと思い、徒歩5分ほどのスーパーに、今日は10分くらいかけてのろのろと出かける。

全身倦怠感がつづき、家事がつらい。

だいたい70時間くらい経過したあたりで、ふいに体が楽になった。

(55時間くらいの間違い。頭が働いてない)

胃の調子はまだ悪く、固形物はまだ食べられなさそう。

 

一回熱が下がったと思ったのに、間欠的に38度台の熱が出るのは3回目接種のときと同じ。3回目接種では3日目になっても発熱。4日目も全身倦怠感が続いたけれど、それよりは回復が早そう。

 

1回目→2回目→3回目と、副反応は強くなっていく一方だったが、4回目は2回目と3回目の中間くらいの強さだった。

 

 

ワクチン4回目接種

今日は4回目のワクチン接種。

先生からは、今回の副反応は軽いはずだと言われた。

毎回高熱が出て、発熱日数も徐々に伸び、3回目の接種のときには3日間38度くらいの発熱が続いていた。

ファイザーファイザー、モデルナときて、今回はファイザーBA.1。

接種後7時間ほどたつ今、注射あとが痛む。

腕をあげると、ひじをついて長時間過ごしてしまった後1か月くらい痛みが続く時の、あの痛み。

明日は発熱するかもしれないので、今夜はカレーを大量に作っておいた。

家族は、二日連続でカレーを食べられるととても喜んでいる。

うちでは、さまざまな紆余曲折を経て、カレーに入れる肉は主に鶏肉になった。

もも肉が美味しいけれども、最近は肩小肉を使っている。それと、手羽元を突っ込む。

カレーまみれの手羽元を手づかみで食べると、手もカレーまみれになる。何故か夫も子供も、野生の血が騒ぐのだか手をカレーまみれにして、顔にもカレーをつけて、手羽元肉をしゃぶりたがる。

実家では豚肉だった。久しぶりに豚肉のカレーも食べたい気分。

いつになく異様に眠い。これも副反応か。

熱が一番困る。このまま治まってほしい。

もう、寝る。

カウンセリング

ときどき、カウンセリングとやらに行ってみたい気持ちになる。

でも、私の話なんか聞いてくれるんだろうか?と気後れして行けない。

ほとんどの時は大丈夫に過ごせるけれども、ときおり、いろいろな思いで頭がいっぱいになり、吐き出したくてたまらなくなるときがある。

だいたい、大勢の人と会ってしまったときにそうなる。

子供のPTA関連とか、地域の子供会とか、学校行事とか、そのあたりが危ない。

母親というのは、わが子が最高だと思って強く入れ込んでいる人が多い。視野が狭まって、集中してわが子にのめり込んでいる。

母親だからそうなのか、女性の特性なのか、わき目もふらずわが子にのめり込んでいるうちに、視野を狭めてのめり込む癖がつくのか、子供とは直接関係しないPTAの仕事などでもしっかり視野狭く振舞う。

構成員が「お母さん」ばかりだと、息がつまる。独身の人がいたり、もう子供は自立しましたという人がいたり、さまざまな特性の人がいればもっと空気は変わるのかもしれないけれども、PTAは何しろたくさんの「お母さん」とちょっぴりの「お父さん」からできている。わが子にのめり込んでる人しかいない。偏りが激しい。

そういう大勢の「お母さん」たちと長時間一緒にすごしてしまうと、私の中に、いろいろな違和感や感想、考えがたくさんたまってしまう。

悩んでいるのかと言われたら、そういうわけでもない。

ただ、頭の中が考えでいっぱいになって、苦しいだけだ。

それを吐き出す先が無い。

自分はこういう出来事のなかで、こういう感想をいだき、こういう考えをもった。という話がしたいだけなのだけれども、最後まで話せることはあまり無い。

出来事の説明の下りで、聞いてる人の方が自分の意見を言い出し、自分の考えを述べ、満足して終わってしまうことが多い。私はこう感じて、こう思ったよ、という部分にまではなかなかたどり着けない。

うまく事実関係の説明部分がクリアできても、私はこう感じた、という部分で、「そんな風に感じるのは変だ」「おかしいよ」というつっこみが入ってしまい、それ以上話がすすめられなくなることも多々ある。

私はこう思ったよ。という部分まで話を聞いてくれる人はめったにおらず、それが今の主人なのだけれども、やつは最後まで聞いたあげくのはてに、「お前は変な奴だな」と言うばかり。

私は自分を変だと思ってない。普通だと思ってる。

ごく普通のノーマルな感覚で見て、感じて、思ったことを話している。

最後まで話を聞いてくれるのはうれしいのだけれども、ノーマルなのは他の人で、私のことはアブノーマルなんだとくくられてしまうのはとても残念だ。

そういうとき、カウンセラーなら、いい気分になるような聞き方をしてくれるんだろうか。と思うのである。

でも、カウンセリングなんて高いし、特に深く悩んだり来るしんでいたりするわけでもなく、行くもんじゃないんだろうなと思うのである。

 

 

いつか立派な木になる

夏あたりから、木になりたいと思い始めていた。

地球温暖化のせいなんだろうか。酸素不足をヒシヒシと感じたんだろうか。

なぜかはわからないけれど、心に決めた。

私は木になる。木になるんだ。

茶色のスカートをはいて、緑色のTシャツを着ようか。開襟シャツもいいな。秋になれば、茶色のズボンを持っているからそれと合わせてオレンジのセーターなんか着れば、紅葉した木になれるなぁ。

そんなことを考えて、ネットで洋服探しを続けてきた。

家族はなぜだか大反対。木になってはいけない。そんなの駄目だ。そんな服良くない。そんな考えはおかしい。と止めてきた。

いったい、木の何が悪いというのか、そして人のする格好にどうしてそんなに意見したいのだかわからない。露出するわけでも不潔な格好をするわけでもないのだし、放っておいて欲しいものだ。

私は気にせず探し続け、やっとこの秋から着られそうな緑とオレンジのセーターを買った。

これを来てこの秋私は木になる。紅葉もする。

きっと、毎日充実するだろう。

傍から見たら、あそこの奥さん最近オレンジと緑ばっかり着てるわね。マイブームかしらね。くらいにしか思われなさそう。

春菊の威力

何か無性に春菊が食べたくなった。

豚肉を油でいため、「生姜焼きのたれ」

であえて食べる予定だったところに、春菊もつっこんでみた。

わざわざ春菊のために一品作るのは面倒くさく、でも春菊が食べたかったから。

 

こうして、つっこまれてしまった春菊は、生姜焼きのたれ味にも負けず、

「吾輩は春菊である」

ときちんと主張しつつも、うまく豚肉と協調して紛れ込んでいた。

 

存在感のある春菊に、大満足だった。

 

テープストップ やっと見つけたBGMの終わり方

TV番組で、場面が変わるときにBGMも切り替わる。

話の流れが変わるときなんかに、まずBGMが終了して、次の話題やシーンの盛り上がりにあわせてと全く別の曲調のBGMが始まる、よくあるあれ。

そのBGMの終わり方に何個かパターンがあるようなんだけれども、音楽の回転数が落ちるような終わり方をするときがあって、気になってたまらなかった。

耳についてしまう。

調子が外れていく感じが気持ち悪くて、でも家族は誰も気にかけておらず、自分の耳がおかしいのかしらと不安に思っていた。

一番手軽なのは、ネット検索なので、ときどきGoogle先生に聞いていたのだけれど、ついに発見した。

「テープストップ」という名前のついた手法だった。

好きじゃないことに変わりはないけれど、ずっとわからずもやもやしていたものがわかってすっきりして気分がいいので

全世界に発見報告することにする。

やっほー!

庭仕事用のかばん。というかウエストポーチ

庭で剪定作業に出るときのかばんについて書きます。

たくさんポケットのついているエプロン

例えば↓こういうの

などが欲しかったころもありますが、

私はちょっと大きめのウエストポーチとショルダーの2Wayバッグを庭仕事用に下ろしました。普通に街中で使うバッグだったせいか、おろしたとたんにファスナーが壊れました。土ぼこり、恐るべし。海水に漬かってもなんてことなかったのに。

 

大きめのウエストポーチに何を突っ込んでいるかというと、

 のこぎり(↓こういうの)

 剪定鋏(↓こういうの)

 剪定鋏もう一本(↓こういうの)

 木鋏(↓こういうの)

 高枝切狭の付け替え用ののこぎり部分

 

 皮手袋

 ゴミ袋

などです。

夏ならここに、ペットボトルが追加されます。

剪定していると、この辺の道具の持ち替えをよくしたくなるのです。

でも、いったん脚立に上ってしまうと、急に、あ、この枝の太さだとのこぎりじゃないと無理!と思っても、おりて、道具を持ち直して、またのぼって、足場を安定させて、という手間がとても面倒くさいのです。

だから、使う可能性のあるものは全部ウエストポーチにつっこんで腰にくくっておくのです。

紛失防止と錆防止という意味もあります。

道具の持ち替えをするときに、そこらへんに置くと草や枝にまぎれてしまいます。そのまま一晩放置するとすぐ錆てしまうのです。

そんなに安い道具でもないので、そんな事故を防止するため、道具の持ち替え時に必ずかばんに突っ込むようにしています。

必要なものが全部腰回りにある。

すごく便利で、台所でも同じようにしたいと思う。

美容師さんがよくつけてる、鋏をたくさんつっこんでいるシザーポーチ(↓こんなの)

に、包丁とかピーラーとか、菜箸、おたま、フライ返し、計量スプーンなどなどこまごました道具をつっこんで、ささっと出したら便利そう!

そしれカッコよさそう!

でも危なそう!

でもちょっと美容師さんっぽくって憧れる!

今のところまだファスナー以外は無事なのでばりばり使っていますが、壊れてしまったら次にはもうちょっと、アウトドア使用の土埃につよそうなポーチを見つけなければなあと考えています。

ちなみに年中いつの間にか混入しているのは、土と葉っぱです。

 

レモンババロア

母が昔よく、レモンババロアを作ってくれた。

ホイップクリームと砂糖とレモンとゼラチンで作っていたと思う。

オシャレな模様の入った脚付きのグラスにたっぷり注いで冷やし固めた爽やかなレモンの香りのババロアは、乙女心と食欲をおおいに刺激した。

アレが食べたいなーとゼライスを買い、ポッカレモンを買い、後はXデーに生クリームと本物のレモンを買うだけというところまでは夏の間に実行した。

計画はそこで止まったまま、Xデーより先に焼き芋シーズンが到来。

レンジ任せで簡単に出来るものだから、地元農家さんの細い芋袋詰を買ってきては、つい焼き芋にしてしまう。やっぱりうまい。

いや、作って食べるのは芋じゃなくて乙女なレモンババロアだったはず。

夏は毎回何か寂しい心残りを残して終わるものだけれど、今年の夏の心残りはレモンババロアだった。

レモンは一年中うってるし、レモンババロアは夏じゃなくても美味しいはず。ゼライスの箱を目にするたび、そういえば私は今でもXデーの到来を待ってるんだったと思い出す。

ポッカレモンは、思い切りぐるぐるかき混ぜてトロトロ食感にしたヨーグルトにふりかけて食べている。レモンヨーグルトも最高なんである。

もうじき高校受験

早いもので、うちの子供も高校受験。

でも、うちの子供の成績は、あいもかわらず低空飛行。

先日の模試に向けては多少勉強したようで、偏差値38をとって、ちょっと成績があがったよ!と本人は喜んでいた。5教科合計120点くらいらしい。

そのくらいのレベルでの低空飛行。

学力不振の原因は、やる気がないとか、悩みがあって集中できないとか、そういう問題ではなく、多分勉強向きの個性じゃないんだろうなと親としては思ってる。

生活全般を見ていても、ちょっと考えたら予め防げそうな失敗を繰り返している。忘れ物、ケガ、失くし物、キズ、失くし物、忘れ物、ケガ。何度痛い目を見ても同じ失敗を繰り返し続けている。

頭を使うのがきっと苦手なんだろうし、そういう理由で勉強も身につかずにいる。

授業もお客さん状態なのに、そんな状態でよくもまあ、一日中勉強ばかりやらされる学校に嫌がりもせずせっせと毎日通っているものだと、実はわが子ながら深く感心している。

その点を不思議に思って、聞いたことがある。学校に行けば友達もいるし、勉強は嫌だけれども先生の話は楽しい。と本人は言うのである。なるほど、授業中、ほかの子は勉強している中でこの子は、「先生の話」を聞いているのか。肝心な勉強内容は右から左にするーっと聞き流してるわけか、と、なんとなく納得がいった。

「人が大好き」といつも言っているし、確かに大勢人が集まる学校というところは、この子にとって楽しいところなんだろう。

私自身は、中学時代はテストとなれば、5教科だったら500点。9教科だったら900点とろうとして、たいてい惜しくも取りそこねていた方だったので、子供の低空飛行っぷりに最初は驚き、この世にこんな偏差値が存在していたのかと衝撃を受け、こんな状態で行ける高校があるのかと不安になっていた。でも3年になって模試を受けたり、学校見学に行ったりするようになると、こんな低空飛行っぷりなのに、それでも、なんとか入れそうな高校はあるようで、幸いなことに家からそう遠くもない学校もあるし、なんとか高校生活は経験できそうな目途が立ち、子供の進路についての不安は最近になって、ほぼ払拭された。

本当に、学校見学には行ってみてよかった。

「大丈夫。どこかしら行けるところはある」と先輩ママたちが笑っていった通りだった。どんなに大丈夫と言われても私は不安だったのだけれども、もっと率直に、「素行が悪くなければ、お金さえ払えば入れる私立がいくつかあるのよ~」と教えられていたらもうすこし安心できたかもしれない。

本音を言うと、うちの子は勉強向きではないものの、美術や技術の成績はなかなかいい方なので、そういう方面に力をいれている学校を勧めたいという気持ちがある。「先生の話」を聞いてぼんやりと過すよりも、自分の手を自分の意志で動かして、どうしよう、こうしよう、どうすればうまくいくのだろうと試行錯誤したり工夫したりして過ごす方がよっぽど本人の成長には刺激になるんじゃないの?と。

脳みそに刺激と負荷を与えて、より能力を高めたらいいんじゃないのかという考え。迷いがあるのはこの一点。

ただ、なんとなく、自分の今までの生きてきた軌跡を振り返ると、人間というものは、本当に成長しなければならないときがきたら、その人が出会うべき何かしらに必ず行合うものなんじゃないかという実感が私にはある。だから、あらかじめ頭や理屈をこねくり回して、「予定」とか「計画」とかたてて、物事を自分の思う通りにしようとさかしら心を起こしても仕方ないんじゃないかという実感。

流れに任せればいい。なるようになる。

そういう実感がある。そしてそれは正しいという感覚がある。

迷うならば、迷いつつも、正しいことに従えばよい。

作品作り的なことが必要になったら、本人がやりたい、やりたいと言い出すだろうし、言い出さない限りはこちらから勧める必要はない。

受験も、もう余計なことを言わず、本人の流れに任せてやるのがいいという心境に至った。

超低空飛行ながらも、自分が操縦桿を握っているという自覚が出てきたようなので、高校受験の受験生としては申し分ない。自分の高度も自分で把握できるようになったようだし。

私が母親としてできることは、健康面をサポートすることや、家庭内に安心感を醸し出すことかと思う。

ようは、家に帰るとのんびりくつろいでるお母さんになったらいい。

仕事があり、介護がありするので、なかなかくつろいでもいられないのだけれども、これからはできるだけ家でのんびりするようにしよう。

家事は後回しにして、くつろぐことにしようと思う。

子供のために。

十五夜

今日は十五夜だったのに、おだんごを食べそびれてしまった。

失敗した。

ススキも飾りそびれた。

気分が盛り上がらないものの、月は見られたのでよし。

少し前はあんなに暑かった夜が、今夜は涼しい風が吹いて、長く外に出ていると体が冷えるくらい。

あれをやらないと、これをやりそびれたぞ、何はいつまで、この日はあそこに出かけていかなければ、と、スケジュール帳にしきりと用事を書き込んでは、どうにかそういう用事を消化していく日々。

毎日はスケジュール帳の計画の中にこそあるみたいな生活をしてましたが、今夜月を眺めて、我に返れた気がする。

ものごとそう、ちゃくちゃくとこなせなくても、割となんとかなってくもんじゃん。そういえば。

だんごも、ススキもなかったけど、いい十五夜だった。

 

 

らくだ椅子という、変な形の椅子

最近、実はちょっと高い買い物をしました。

「らくだ椅子」

こういうやつです。

 

 

変な椅子でしょう?

でも可愛いでしょう?

台所で洗い物をする用に買いました。

 

これまでこういうタイプを使っていたのです。

 

でも、これだと、ひざがシンク下収納の扉にあたる。洗い物をするのにはシンクに体を近づけたいのに、近づけられない。

扉を開けて作業しても、中に収納したものに膝があたって、やはりうまくいかない。

腕をあげて、だいぶ体より前の方で洗うか、体を横にひねって洗うかするしかなく、体の負担が大きかったのです。

立って洗えばすべて解決するのですが、夕食後の皿洗いは、もうヘトヘトでとても立っては取り組めない。年には勝てないのです。

明日の朝洗えばいいんじゃない。という意見もあると思いますが、朝は忙しいし洗い物のために早起きするのはツライです。

できれば、座って洗いたい。

 

らくだ椅子だったら、前に向いて座っても膝がシンクの収納扉にあたらなさそうだし、ロッキングするから体をシンクに近づけやすいかも。

へとへとになった夕食後の足の負担を、少し軽くできるのかも。

そんな期待をして、悩みに悩んで注文しました。

 

で、どうだったのかというと、

まず、横から押すとすぐ倒れます。細長いから仕方ありません。

何も考えずにえいやっと座ろうとすると、ぐらついて危ないです。転びそうになります。座るときは、横に倒さないよう慎重に座る必要があります。

横からの力に弱いというのは、一番大きな欠点だと思います。移動するとき、座るとき、気を付けなければなりません。

次に、座り心地は普通の、座面の大きい椅子のように甘々ではありません。ちょっとおしりに対して厳しい目です。座面が小さいのですから、当然といえば当然です。

何の気なしに座ると、おしりや太ももが痛いです。え?これ椅子?と思います。

 

はじめは、これ、失敗だったかしらとうすうす思ったのですが、毎日使っているうちに、慣れました。

座るときには、らくだの首部分を手でおさえ、転倒しないよう気を付けておしりを載せていきます。

おしりの載せ方にもコツがあります。

骨盤が前傾しているとおしりや太ももに痛みを感じます。下腹を縮めて骨盤を後傾気味にし、太ももの内側でちょっと椅子を挟み込むようにして座ると、どこも痛くありません。

多分、そもそも骨盤がまっすぐな人なら痛くないんじゃないでしょうか。私は反り腰なのでそのまま座ると痛かったのでしょう。

コツを書いていると座るだけで疲れそうな気がしますが、いつも夕飯後に限界に達するのは、足の甲や足裏なのです。ここにかかる体重を減らしたい。そして、腰をひねらず前向きに作業したい。この二つの希望がかないました。

最初はぎこちなく使っていましたが、10日ほどたつとうまく使いこなせるようになりました。

座って、1時間も2時間もくつろぐような椅子ではないのですが、台所の作業の合間合間に、ちょこっと座って休めるし、内容によっては座ったまま作業できます。

洗い物のときは、らくだの首部分をおなかにあてて座ります。コンロの前に立つときは、腰の後ろにらくだの首部分が来るように後ろ向きにします。調理が佳境に入ると立ち上がり、立ったり座ったりしながら料理しています。

特に痛みも感じなくなりました。多分座り方がうまくなった。

ちゃんと使えてはいるんですが、横から押されるとすぐ倒れるところは一番のマイナスポイントだと思います。前後はロッキングするのですが、横にもできたらちょっと揺れたい希望があります。

 

もしかすると、

こんな感じの方がよかったかしら。少し安いし。なんてことも思います。

いつか今の椅子が壊れて使えなくなったとき。あるいは台所が広い家に引っ越して、もう一つ椅子を置けるようになったときには、鞍馬タイプも検討してみたいです。ただ、台所の皿洗いに便利だって推してる様子がないのです。あんまり膝を後ろにさげて前傾すると、落馬してしまうのかもしれませんね。

 

最も足の負担が軽そうだなって思ったのはこんなやつ

でも、さすがにこれはちょっと勇気でなかったです。一番便利そうでしたが、ちょっとバランスを崩すと転びそうな気がして。大ケガしそうで怖かったです。

どんな感じなのか、いっぺん座ってみたいです。

 

理想の椅子というのは本当に難しいですね。

この年になって、椅子職人になっていろんな椅子を作るってどんなだろう?と空想するようになりました。

夏の終わり カラスの子育て

夏の終わりを迎えて、最近カラスがときどきほげほげうるさい。

鳴き声がちょっと甘ったれた調子で、いかにも哀れっぽく鳴いているので、子供のカラスが何かに困って親に助けを求めているのかな、と感じてます。

でも大人たちは誰もかまわないらしい。

本当に完全放置。

ずーっとやつは、ほげぇ、ほげぇ、ほげぇ、と哀れっぽく鳴き続けています。

ほげぇの数を数えていたら、50くらいまで数えましたが面倒くさくなってしまいました。

先日はなんでだか知りませんが午前3時頃にほげぇ、ほげぇ、と煩かった。

あたまにきて、警察だったり児童相談所だったりに通報してやろうかと思いましたが、カラスだしなぁ…

それから2週間くらいたちますが、最近はそんなにずっとほげぇ、ほげぇと鳴かなくなってきました。多分、いくら鳴いても誰も世話をやいてくれないとあきらめたのだと思います。

毎年毎年、ほげぇほげぇと長鳴きする声は聞かないので、多分今年生まれた子はとりわけ甘ったれただったんでしょう。

こうしてまた今年も、一羽のカラスが一人前に自立していくんだなぁと、気づいた秋のはじめでした。

足元にはちらほらキノコなんかも生えてきていて、焼き芋や栗も美味しい秋がきましたね。

今年は焼き芋をいっぱい食べたいです!

夏は節電で焼き芋を停止していたスーパーが多かったですが、秋も深まればきっと再開されるでしょう。

楽しみです。