ときどき、カウンセリングとやらに行ってみたい気持ちになる。
でも、私の話なんか聞いてくれるんだろうか?と気後れして行けない。
ほとんどの時は大丈夫に過ごせるけれども、ときおり、いろいろな思いで頭がいっぱいになり、吐き出したくてたまらなくなるときがある。
だいたい、大勢の人と会ってしまったときにそうなる。
子供のPTA関連とか、地域の子供会とか、学校行事とか、そのあたりが危ない。
母親というのは、わが子が最高だと思って強く入れ込んでいる人が多い。視野が狭まって、集中してわが子にのめり込んでいる。
母親だからそうなのか、女性の特性なのか、わき目もふらずわが子にのめり込んでいるうちに、視野を狭めてのめり込む癖がつくのか、子供とは直接関係しないPTAの仕事などでもしっかり視野狭く振舞う。
構成員が「お母さん」ばかりだと、息がつまる。独身の人がいたり、もう子供は自立しましたという人がいたり、さまざまな特性の人がいればもっと空気は変わるのかもしれないけれども、PTAは何しろたくさんの「お母さん」とちょっぴりの「お父さん」からできている。わが子にのめり込んでる人しかいない。偏りが激しい。
そういう大勢の「お母さん」たちと長時間一緒にすごしてしまうと、私の中に、いろいろな違和感や感想、考えがたくさんたまってしまう。
悩んでいるのかと言われたら、そういうわけでもない。
ただ、頭の中が考えでいっぱいになって、苦しいだけだ。
それを吐き出す先が無い。
自分はこういう出来事のなかで、こういう感想をいだき、こういう考えをもった。という話がしたいだけなのだけれども、最後まで話せることはあまり無い。
出来事の説明の下りで、聞いてる人の方が自分の意見を言い出し、自分の考えを述べ、満足して終わってしまうことが多い。私はこう感じて、こう思ったよ、という部分にまではなかなかたどり着けない。
うまく事実関係の説明部分がクリアできても、私はこう感じた、という部分で、「そんな風に感じるのは変だ」「おかしいよ」というつっこみが入ってしまい、それ以上話がすすめられなくなることも多々ある。
私はこう思ったよ。という部分まで話を聞いてくれる人はめったにおらず、それが今の主人なのだけれども、やつは最後まで聞いたあげくのはてに、「お前は変な奴だな」と言うばかり。
私は自分を変だと思ってない。普通だと思ってる。
ごく普通のノーマルな感覚で見て、感じて、思ったことを話している。
最後まで話を聞いてくれるのはうれしいのだけれども、ノーマルなのは他の人で、私のことはアブノーマルなんだとくくられてしまうのはとても残念だ。
そういうとき、カウンセラーなら、いい気分になるような聞き方をしてくれるんだろうか。と思うのである。
でも、カウンセリングなんて高いし、特に深く悩んだり来るしんでいたりするわけでもなく、行くもんじゃないんだろうなと思うのである。