アンチ食器洗浄機

私はアンチ食器洗浄機派。派っていうほど人数いるのかわからないけど。

 

私がやりたくないのは、もっと範囲が広くて、「後片付け」全般やりたくない。もっというと、もう、立ち上がりたくない。ずうっと転がっていたい。

食器洗浄機を導入したら家事が楽になる、夜が楽になるというなら、

 

・食べ散らかされた食器を全部シンクに運ぶ

・食器を分類整理する(汚れ加減で)

・茶碗は洗い桶で少し水につけておく

・テーブルの上を拭く

 

ということもやって欲しい。

そのうえで、

 

・食器を洗う

 

さらに、

 

生ごみをまとめてゴミ箱に捨てる

・シンクを掃除する

生ごみ用の網をセットしておく

・食器を食器棚に戻しておく

・ついでに、トイレを掃除しておく。

・お湯を沸かしてポットに入れておく

 

などといったこともやって欲しいのである。

 

やって欲しいことはいっぱいあるのに、

食洗器は純粋に食器を洗うことだけしかしてくれないし、そんなの実は自分でやると5分くらいで終わる仕事だったりする。

 

たった5分で終わる作業部分だけしかやってくれない上に、

何やら前洗いが必要だの、ていねいに並べる必要があるだの、要求が多い。これでもか、これでもかとおぜん立てしてやったあげく、2時間かけて皿を洗う。自分でやったら5分。

新入社員なら、最初はおぜん立てが必要でもそのうちきっと自立してくれるし、そしたら楽になれると信じてあれこれ世話を焼くと思う。

でもこの新入社員はずうっとおぜん立てし続けなくてはならない。決して自立しないし、気を利かせて、「お湯も自分が沸かしておきましょうか」とか言ってはくれないんだと思うと、馬鹿らしい気がしてしまう。

 

そのくせ、食器洗浄機を導入したら、

「家事が楽になっただろう」

って言われてしまうのである。

5分しかかからない作業を機械で肩代わりしただけで、実際にはたいした負担減ではないのに。

 

そんな感じで、私はアンチ食器洗浄機派。

多分、導入するのは介護状態になって、ヘルパーさんに食器を洗ってもらうようになった頃だと思う。

洗濯物をたたむタイミング

世間では、洗濯物は、多分とりあえず取り込んできて、部屋の中でたたむのが一般的なんじゃないかと思う。

私の場合は、洗濯物はたたみながら取り込んでくる。

だから、洗濯物をたたむのは屋外。

一枚一枚、洗濯ピンチからはずすとすぐもう、その場でたたむ。

なんでかというと、とりあえずざっと取り込んで部屋の片隅に一回置いてしまうと、もうこれは後回しでもいいかなという気分がわきおこり、そうするともうやりたくなくなってしまうからだ。

そして一回、後回しでいいやと思ってしまうと、そのままなかなかとりかからない仕事として、ずっと放置することになってしまう。

やらなければならないんだけれど、やりたくないことが山積みになってそこにあるという状況は、呪いのようにじわじわとHPを削ってくるのである。

じゃあすぐやればいいのだけれども、やっぱりおっくうでやりたくない。

夏休みの宿題は、いつも心の片隅にあって気になってはいるんだけれどもギリギリまで取り掛かれないタイプの人間なのだ。

家事というのは、そういう、優先順位はそんなに高くないんだけれども今日中にはやっておくべき作業、がいっぱいある。

こまごまあげるとキリはないけれど、私がつらいのは、

 洗濯物をたたんでしまう、

 アイロンをかける、

 皿をあらう、

あたりの家事への取り掛かり。

結局のところ、

 やりたくない。今やんなくてもいいじゃん。後でいいじゃん。

という気持ちとどう折り合いをつけて取り組むかという課題。

子供の宿題と同じである。

子供は、先生に怒られるとか、学校で恥ずかしい思いをしちゃうかも、とかお母さんにしかられる、とか、明日居残りでやらされるのは嫌だ、とか、そういう大人からの強制で宿題に取り掛からざるをえなくさせられるんだけれども、

私は大人なので、自分一人で宿題に取り掛からないとならないのである。

嫌だけど。

 

効率ということを言うならば、取り込み作業は取り込み作業だけ、たたむ作業はたたむ作業だけでまとめてやった方がいいんだろう。

でも、まとめてしまった場合、

「山積みの洗濯物」

という、「山積みの宿題」みたいな拒否感の大きい課題を目にしてしまうことになる。

拒否感を小さくするにはどうしたらいいか。

課題を減らせばいい。

洗濯物は山積みにしない。

目に映る情報量は減らす。

そうすると、風にたなびく、洗濯ピンチにきれいに並べて干してある状態の洗濯物の方がまだ、整然と並んでいる感があるぶんましなのである。

靴下の相棒だって探しやすい。

そもそも洗濯物を干す段階で、できるだけたんすにしまう順に干しておくようにすると、もっと課題が簡単になる。

一枚ずつわけてぶらさげてある状態からたたむのは、洗濯物の山の中から一枚ずつ拾い上げて、広げなおしてたたむよりも、少しだけ動作が少ないし精神的にも楽なのである。拾い上げて広げなおす部分が不要になるから。

例えばフェイスタオルは、フェイスタオルだけでまとめて干しておくとたたむのも楽だ。

がっとタオルを腕で抱えて、洗たくばさみを次々はずし、真ん中がおれた二つ折り状態にして腕にかけ、その二つ折が崩れないように柵などにかける。

一枚ずつ二つ折りの山部分をつまんで、たたむように下ろせば四つ折りにたためる。

一回取り込んでから一枚ずつ拾い上げてたたむよりは動作も少なく、楽に片づけられるのである。

このやり方の何が一番いいのかと言えば、洗濯物の山ができないところだ。

取り込みに行けば、それでもう洗濯物についての家事は大半おわり。

たんす順に干してあるから、たたんだ洗濯物をかごに入れると、あとは、たんすに戻しながら一巡りしたらいい。

精神的な負担感がだいぶ少なくなる。

近辺で、たたみながら洗濯物を取り込んでいる人は見かけないので、多分私のやり方は少数派なんだと思う。屋外用せんたくたたみ用作業台というのも売っているのを見たこともないから、そういうことなんだと思う。

でも、たたむタイミングをかえるだけでだいぶ楽になるから、困っている人がいたら試して欲しい。

小学生が、学校の休み時間に宿題を終わらせてきてしまうイメージ。家に帰ったらもうやらなきゃならないことはとくには無くて、あと遊ぶだけ。

ぜひやってみて。

おじやでさわやかな朝

今週のお題「朝ごはん」

 

多いのは、前の晩にあまった味噌汁に野菜を足して、ごはんをつっこんで作るおじや。

豚肉とショウガを足して、みそも足すのが好みです。

朝のおじやは、ぐっとおなかを中から押し下げるみたいで、おじやの日には朝から快調です。

 

トマト系のスープのもとにごはんを突っ込んで作るおじやも美味しいです。

チーズをのせ、カットしたトマトものせ、ハーブの入ったクレイジーソルトをかけるとおしゃれな感じに。

実は、トマト系の場合もしょうがを入れるとぐっと美味しさがまします。

 

牛乳をあたため、コンソメやらブイヨンやらで味付けたところに、冷凍のミックス野菜をいれ、ご飯を突っ込んでつくるおじやも美味しいです。

 

こんな感じでおじや多めですが、おにぎり、海苔巻きのこともよくあります。

 

海苔巻きの場合は、さくらでんぶとゆかりを芯にして巻いたものが多いです。子供が好きだから。

自分としては、鰹節にしょうゆをだーっとかけたやつを芯に巻いたのが一番好きなんですが、自分の好きなものはなかなか食べられないですね。

 

 

病院関係者のマウンティング癖にうんざり

病院関係者は、あんまり好きじゃない感じの人が多い。

病院という職場が、ヒエラルキーのはっきりした、だいぶ昔の田舎の村みたいな古臭い雰囲気なのは、はたからみていてもヒシヒシと感じる。

でも、なんでちょっと受診しにいっただけでそのヒエラルキーの一番下っ端にこっちを勝手に位置づけるのか不可解。

ほんとにいや。

自分、別の社会に生きてるんで、勝手に組み入れないでいただきたい。

もっと公平な感じの社会で暮らしてるんよ。

あんたらの狭苦しい、住み心地悪そうな村の一員じゃないんで。

と、声を大にして、叫びまくりたくなる。

さらに、看護師さんの中には、なんでだか

「自分は医療の専門家よ」

っていう主張をやたらしてくる人がいるのが困りもの。

他の病院の専門の医師から説明され、指示されたことを言うと、

内科の看護婦の自分の方が、専門医師より絶対正しいのだと何か必死に人を圧迫しようとしてくるのである。

そんなの全部嘘だから。って言い切るのである。

医者の知識範囲と看護師の知識範囲では、医者の方が広いんじゃないかな。と思うので、とりあえずその場は、

「ほお。そうですかぁ」

って言ってすませるんだけど、いちいち相槌をうってあげるのも面倒くさいのである。

患者はヒエラルキーの一番下っ端なので、看護師さんのマウンティング欲求を満たしてあげる義務がこちらにはあるとお考えのようなのである。

それ、こっちはつきあわなきゃダメかなぁ。そんなに暇でもないんだけどな。

医者にもどうにかした人がよくいる。治療の説明をするとき、

なぜか子供相手にしているかのように、

「○○という臓器の機能は知ってますか?」

とかクイズをさしはさんできたりする。

で、人にこたえさせて、「正解です!」とかほめてくる。

こういう態度を、人を馬鹿にした態度というのだとわからないほど感性が鈍い人なのか、それとも、ヒエラルキーを叩き込むためにわざわざこうした態度をとっているのか、どちらなんだろうかと不可解な気分になる。

自分に害意を持っているわけでもない、よくしらない他人に、そんな失礼な態度とっちゃだめってことを、これまで社会生活をしてきて、気づくことができなかったっていうのは、よっぽど観察力とか洞察力に問題があると思うんだけど、よく大学に受かったなと不思議な気持ちになる。

 

医療関係者は、

「うちの病院村内」とか今いる「この場」での患者と自分の関係の中で、優位に立とうとして、「マウンティング」というか、小さな小さな政治的活動をする人が多いので、

ほんとに、あんまりかかわりたくない。

 

そんなことを常々思っていたら、今度は受付でも不愉快な思いをする。

全く無関係な赤の他人と勘違いされた。

別の人だと思いますと言ったんだけど、絶対同一人物なんだと決めつけてきた。

どうもその同一人物認定された人がなにかやらかしたんだか知らないけど、こちらとしてははじめて訪ねた病院で、しつこいクレーマー扱いされてしまった。

記録を調べるでもなく、事実関係を確かめるということもなく、受付の人の憶測をもとに判断して、さらに、ほかのメンバーも受付氏の誤った判断をうのみにしてしまった。

自分は絶対に正しいと思い込んでしまって、話も聞かない、様子を観察もしない、事実関係も確認しない、とにかく敵を撃退するモードになっているので、あきらめて帰ってきた。

もう、こういう人には何を言っても無駄なんだろうなぁと思った。

何か言っても、私の言っている言葉は全部捻じ曲げて受け取られるのだろうと思う。

基本的に、人は信じるものだと考えているんだけど、病院関係者相手にその態度でいると、ひどいめにあうことが多い。

 

運悪く、強力な毒虫に刺されちゃったんだとでも思うことにする。

そして、病院にはそういう毒虫がいっぱいいる。

多分、医療系の仕事に就く人全般、あんまり気が合わないと思うし、話が通じ合う感じがしない。

きっと、向こうもそう思ってるだろうに違いないけど。

 

帰ってきたチョコレート記念日(すぎちゃったけど)はハーゲンダッツのショコラデュオ

今年2回目のチョコレート記念日。

すぎちゃったけど。

今回は、ハーゲンダッツのアイスクリーム

ショコラデュオ

を食べました。

 

こういうの

 

黒っぽいのは苦くて美味しく

白っぽい方はミルクチョコレート系でクリーミーで美味しい

 

黒いのをなめ、苦みを楽しみ

白っぽい方をなめ、マイルドなミルクチョコレートを味わい、

また黒い方に戻り・・・

 

エンドレスに楽しみたいのに終わりの時がやってくる。

満足だけどとても残念な気持ちがわきあがってくるアイスクリームでした。

多分また近いうちに、買ってきてしまうことでしょう。

 

今回のチョコレート記念日は、職場でサンプルのチョコレートももらいました。

やった!

いちごのチョコとミルクチョコレート。

一緒に食べると懐かしのアポロチョコレートの味。

 

 

子供の頃によく食べてたけど、今食べても美味しい。

最高の組み合わせだと思います。

いちごの旬の季節なので、いちごのチョコはこれから多く出回るのではないかと思います。

なんか買ってきて食べちゃおうかなぁとわくわくしてきました。

 

この調子で、今年も一年中チョコレート記念年を過ごすことになりそう

チョコレート記念日おめでとう!

本日はチョコレート記念日。

世間ではどうだか知らないけど、私の中ではチョコレート記念日。

チョコレートおめでとう!

 

朝からうきうきと家族にチョコレートをふるまった。

後は自分に振舞うだけだけれど、明日になるとちょっと安くなるかもしれないから、自分用は明日のお楽しみである。

 

こんな感じで、クッキー記念日とか、すあま記念日とかあるといいのになぁと思う。

 

 

ポイントカードとクレジットカード

店ごとにポイントカードを作り、なんかポイントがつくとか割り引かれるとか言われてクレジットカードも作らされ、

今度はアプリを登録しろと言い出し、

お金払うときにスマホ引っ張り出したり、カードを出したり、

そういう煩雑さが最近、面倒くさくて仕方がない。

 

なんで店ごとにクレジットカード作んなきゃなんないのよ。

なんでなんとかペイがいっぱいあるのよ。

なんとかポイントが入り混じってるのよ。

 

もともとお金の話は苦手なのに、

財布の中にごっちゃり入ったいろんなカードと、

スマホの画面にずらりと並んだアプリにげんなりしはじめてる。

 

便利になるはずじゃなかったのか。

お得になるはずじゃなかったのか。

毎日届くいろんなカードやらポイントやらのお得情報も多すぎて憂鬱になり、

届けば削除しちゃう癖がついちゃった。

 

かつての、いろんな店のスタンプカードを持ち歩いていたときと、あまり変わらなくなってきた。

 

こういう煩雑な情報を拾い集めて、うまく活用するのが好きな人はいる。

でも、私はそうじゃない。

誰か代わりにやってくれ。と思う。切実に。

 

そのうち、そういうアプリが出るんだろう。

どの店のカードを持ってて、どの辺に住んでるのか教えておく。

そんで、買いたいものを入力する。

すると、

「今日はこのルートでこの店とこの店に行く。この店で使うカードはこれ。買うものはこれ。こっちの店でこれを買い、このカードで払って、アプリにポイントをためる。

余計なものは買わずに帰れ」

とかなんとか教えてくれる。

 

きっとそうなる。

というか、今すぐ欲しいです。

もー、ややこしくて倒れそうです。

煩雑なのは苦手です。

気づけば節分

気づけばもう節分。

もう年が明けてひと月たったと気づいてしまって、

ああ、こんな風にいたずらに年をとっていくんだなとコワイ気持ちになる。

思春期の子と、介護期の親をかかえて自分は更年期。

期がたくさん重なって毎日じたばたしているうちに、あっという間に月日は過ぎていく。

 

子供の頃は、節分だってわくわくした。

鬼のお面をかぶった人にマメをぶつけるようなことはしなかったけれども、大きなマスをかかえて、家じゅうに豆をまいてまわるのが楽しかった。

部屋の窓を少しずつ開けて、

「おにはーそと、おにはーそと、ふくはーうち」

と唱えながらばらばら豆を撒く。

拾った豆を年の数だけ数えて食べるのもうれしかった。

数え年なら、実年齢より1つだけ余分に食べられる。

数え年というものを知ったのは、節分の時だったと思う。

明日になれば、残った豆を年の分だけと言わず全部食べられる。

マスに残った豆を食べるのを楽しみにしていた。

夜には神社にいって、豆を撒いてきた。

そして年越しそばを食べる。

 

こういう、過ぎし日の思い出の時間よりも、これからやってくる未来の時間の方が圧倒的に短いってふと気づいてしまった。

 

だから何というわけではないのだけれども、結局、今を大事にするべきなんだなと思った。

初夢’を見た

今週のお題「初夢」

 

実は、あのあと初夢’を見た。

見たんだけど、具合の悪いことに、声を大にして公の場で言うにははばかられる夢だった。

トイレにまつわるエトセトラな夢で、高齢になった母や地方気味の叔父が出てきてちょっと介護系とだけ書いておく。

夢の中でも世話してるのは、いつでも気にかけてるってことで、ナイスな娘でエライなーって思っておくことにする。

人の世話を、するのが当たり前だと思って日々してきているけど、自分の希望、願望、欲望もほどほど叶えて世話しとかないとくたびれ果ててしまうだろうから、そこはしっかり意識しておこうと思った。

初夢´を見たい

今週のお題「初夢」

 

今年は兎年。

何か世間はきな臭く、増税、値上げ、防衛と、不安の高まるような緊張感の高まることがたくさん。

そんなことどもは、兎のようにぴょんすかぴょんすか、早く駆け抜けてしまえばいい。

兎というのは、勝負したら亀に負けていたけれど、実は亀というのは世界最速のスプリンターだ。

甲羅を脱いだら、あいつらは足が速いのである。

その甲羅が、なかなか脱げないけど。

激しい修行と愛欲の果てに、やっと甲羅が脱げるらしい。

多分亀は、兎のことが好きだった。

あの時の勝負は、結局そういうことなのだ。兎は、亀に油断して寝てしまった。

まさか、あんなことになろうとは。

さて、初夢。

今年に入って、いつの夢が初夢かは知らないけど、夢はたくさんみた。

でも、その日の朝のうちは覚えていたけれど、もうわからなくなってしまった。

縁起のよい夢ではなく、いつも通りの夢だった。

なんだか残念なので、次回夢を見たら次の夢を初夢´ということにして、書いてみよう。

お題は初夢なのに、初夢についてはほぼ書くことがなかった。

本当のことを言えば、夢の話は好きだ。人の夢でも。

どことなく暗く、にぶく、重たい雰囲気を感じる。そこが妙に魅力的。

何かしら不足感がただようところも好き。

そういう不思議な空気感に惹かれる。

次に夢を見たら、しっかり覚えておくことにする。

初夢´、いつみるかなぁ

 

蟻、カタツムリ、カラス

お題「もし1日だけ動物になれるとしたら、何になりますか?」

 

楽しそうなお題ですね。

皆さんのなりたいものも楽しい!

 

私は蟻になりたい。

小さなありになって、仲間と一緒に行列に並んで、一生懸命働く。

あんな小さな目からは、この世はどんな風に見えるんだろう。

大木の生い茂る草むら。

そこから見える空。

突然襲い掛かる子供たちの足。

一粒ずつ土塊を掘り出して作った大きな巣穴。

入っていくと、真っ暗な穴の中はどんな風に見えるんだろう。

夏はひんやりと涼しくて、冬はほんのりと温かい巣穴。

仲間の気配に満ちていて、土と、食べ物の匂いがするんだろうか。

誰も、寂しいと、感じることはきっとない。

そんな暇もきっとない。

興味深いけれども、雨の日だったら蟻はやめておく。

おぼれてしまうのは困る。

そんなときはカタツムリになって、葉っぱのうらにはりついて、

逆さに見える世の中を眺めることにする。

葉先からしたたる雨粒が、どんなに大きく見えるのか。

雨粒ごしに見る向こう側の景色は、ぐにゃりと歪んで見えるのかもしれない。

 

それが真冬のことならば、みんな冬眠してしまうので、カラスにしておく。

わがもの顔で飛び回る町の空。

小学生に戻ったような気持ちになれそう。

仲間とかぁかぁと鳴きかわして、一日中、空を、地べたを、屋根の上を、枝の間を遊び倒す。

ごちそうを見つければ、かぁかぁと仲間を呼び集める。

おいしいものと、面白いものを探しつづける。

楽しい一日を満喫したら、夕暮れの赤い空を仲間と一緒にねぐらに帰る。

 

そんな感じに楽しみたい。

 

ベランダに映える花

今年は夏の花に失敗。

赤と白のペチュニアを置いてみたけれど、何だか冴えなかった。

ベランダの壁が白で、午後には日が陰るため、赤も白もあまりパッとしないのだと最近気づいた。

この冬は、蛍光がかったピンクのシクラメン、原色の黄色とオレンジのビオラ、間に濃い紫と赤紫の重たい色のビオラ、濃いピンクのジュリアンを置いてみた。

前よりはいい。

シクラメンと真っ黄色のビオラが特にいい。でももうちょっと華やかに出来そうな気もしてしまう。

花屋で素敵に見えても、ベランダに置くと全然違っていて、花を選ぶのも難しい。

でも、花屋で一目惚れしてどうしても欲しくなっちゃう気持ちも止められない。

私の好みは柔らかい印象の淡い色の小花なのだけれど、残念ながら、それはうちのベランダには合わないみたいだ。

無限に広がるお庭があって、明るい広場と薄暗い小道があって、そこに好きなだけお花が植えられるようになりたい。なりたい。

そして、場所に合ういい花を選ぶセンスだか理論が欲しい。ぜひとも。

やる気が出ないときのお風呂

今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」

 

やる気というのは経験上、待っていても自然とわくことはない。

軽くやる気出ない程度なら、掛け声で何とかなる。

「えい!えい!おぉ!立て!立て!立つんだ、じょぉおお!」

とか叫んだり、

「10!,9!,8!,7!、6!、5!、4!、3!,2!,1!,0!、Goぉおお!うぉおお!」

とかカウントダウンしたりする。

結構、頑張ろうとする。

そして、自分をほめちぎる。

「よし!腕をついたぞ!えらい!えらすぎる!さすがっ!」

とか、

「すごい!立ちあがった!よくやった!えらい!」
とか、

動いたら動くたびに、ほめちぎりまくる。

でも、そんな声掛けをしてもどうにもこうにもダメなときがあって、そういうときはお風呂に入る。

体をきれいにし、髪も洗い、歯も磨き、なんなら湯船で少しうつらうつらして、追い炊きもしてゆっくり体をあたためる。

風呂上りは、身づくろいして、炭酸水を飲んだりする。

それでも、どうにもこうにもやれないとき。

そういうときは、もう、今日は日が悪いんだ。やるべきじゃないんだ。

ということにする。

とにかく、すぐ課題に取り組めるように準備だけは整えて、

「○○をやる!」

とかメモを書いて、テーブルの目につくところに置いて、今日のミッションは完了にする。

どうにもしょうがないことはある。

そんな感じで、ここ数か月分の家計簿をためている。

(夫には内緒)

マメになれる気がする季節

本屋に百均、ホームセンターでも、スケジュール帳や日記帳が気になる季節。

なんとなく、欲しくなる。

どれにしようかな、と思って手に取ったりしてしまう。

書きたい。毎日書きたい。

こまごまといろんなことを書きたい。

何故か、マメになれるような気がしてしかたがないのである。

 

でも、と思う。

きっと実際はまともに書かないに違いない。

最初はともかく、そのうち面倒になって書かない日が増えてくるだろう。

だんだん億劫になってくる自分。

とうとう見るのも憂鬱になってくる自分。

が、容易に思い浮かぶ。

スケジュール帳にしても、年間スケジュールと月間スケジュールと週間スケジュールが書けるタイプのものが多いけど、同じ用事を3か所に書いたりするの面倒くさい。

ついつい、年間スケジュールの部分に書いたり、月間に書いたり、週間に書いたり、あちこちにばらばらに用事を書いてしまって、いざとなったら用事をすっぽかしてしまいそう。

こういう高機能タイプは、結局うまく使いこなせない。月間予定表しか載っていないようなタイプの方が、管理はうまくできるんだと思う。

 

マメになれる気がしても、

「そんな気がするだけだから」

と自分に言い聞かせる季節。

 

でも憧れる。

↓こんなのとか。

日付指定ではないので、思い立った時に書けばよく、鍵もついてるからいろんなことが書けそう。

問題は、番号を忘れそうなところだけれども。

 

里芋をもらう

子供の合唱大会を聞いてきてから、昔歌った合唱曲が思い出されて、覚えている部分だけ口ずさんでいる。

ふと、

「祖国の土」という曲が思い出されて、

 

ああ大地、踏んでみて寝転んでみて、確かな大地

 

なんて歌っていたら、義母から里芋が送られてきた。

土の匂いのする芋。

さっそくごしごし洗って、煮っころがしにした。

ねっとりして、ほこほこする。

美味しい芋に、煮汁をからめて食べた。

 

義母もいい年なんだけれども、こうして自分の家庭菜園で収穫したものを送ってくれると、元気に動けるんだなぁと安心する。

 

私もできるだけ長く、自分の足で立って、大地を確かめていたい。