傘と戒め

今週のお題「傘」

 

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もう今年も傘の季節になったんですね。

今年の夏は、ぜひ、男性の日傘が一般化したらよいなと思っています。

 

こういうのがあるんですよね。

 

銀行員や国家公務員の皆さんが日傘をさしはじめたら、世間の普通のサラリーマンの皆さんにも普及しそうに思います。

普及して欲しいです。

 

たまーに、自転車に乗ってるおじいさんが

こういう編み笠↓

かぶってますが、涼しそうで実はうらやましい。

帽子って蒸れますものね~ 

 

さて、笠ではなく傘の思い出。

というと、傘を差し忘れた日のことを思い出します。

よく、どこかに傘を置き忘れてくる話を聞きますが、私は、雨が降りそうなのに傘を持たずに出かけてしまうことが多かったのです。

もっていかなくちゃ、といつも思ってはいるのですが、持てない。忘れる。

そのため、雨が降るたびに傘を買っていました。それで家の玄関の壁一面に、私の傘がぶら下がっていたのです。長押にずらーっとぶら下げてありました。

ある雨の日、私は自信満々でした。雨が降りそうだった日に、しっかり気を付けて傘を持って家を出たからです。

今日は大丈夫。傘は買わなくて大丈夫!

と、自信満々に歩いていました。なのになぜか自分がだんだん濡れていきました。

しっとりと濡れながら、どうもこれはおかしいぞ?傘を持っているのに、なんで濡れてしまうんだろう?

とても不思議でした。

そういえば、傘は持ってるだけじゃだめ。ひろげてささないと濡れるに決まってる!

と気づくのにはちょっと時間がかかりました。

 

さすがにそこまでうっかりしたのはそのとき一回こっきりですが、自分で自分が怖かったです。

いつかこのうっかりが原因で、とりかえしのつかない大失敗をするんじゃないか。もしかして命を落としてしまうんじゃないか、と、不安になりました。

 

そういう個人的な事情で、傘というと、私にとっては、

致命的な間違いをおかさないよう、日ごろから自分の間違いやすさを心に刻んでおかなくてはならない。

という戒めのアイテムのイメージが強いです。

 

赤毛のアン

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最近、赤毛のアンの再放送を見てます。

大人になってから見ると、子供の頃とは全く違った見え方になるものですね。

そもそも子供の頃、赤毛のアンはさほど好きな話ではなかったのです。アンという女の子もあまり好きになれなかった。

名前の最後はeという綴で呼んでとか、あった途端に大親友の誓いだとか、ちょっと思い込みが激しくてついていけない。些細なことでいちいち大騒ぎする面倒くさそうな女の子。多分友達にはなれないだろうなぁ。と感じていました。何が面白いのか、あまり良くわからなかったのです。見てたけど。

でも、子育てをしてきた今見ると、とても楽しめるお話に変わりました。

 

マリラが説教する度、そしてため息をつくたびに、

 

 わかる〜!

 

と思うのです。

どうにかこうにか、教えるべきことを教えてやろうと頑張っても、イマイチ子供には響かない。のれんに腕押し。糠に釘。

話して聞かせても、何度も聞かせても、子供の頭の中は、こちらの言ったほんの些細な部分に引っかかり、「空想」なんだか「想像」なんだかの翼をはためかせて明後日の方向にすっ飛んでいってしまうのです。一番伝えたいことは何にも伝わらない。

 

この不毛感!

 

「違う!そんな話はしてない!」

と何度もキレそうになるわけです。

もう、ため息出ちゃうよね~

わかる~

 

マリラが切れ気味に、

「アン!アン・シャーリー!!」

ってしかりつけるたび、共感で胸いっぱいになってしまうのです。

 

子供の頃、マリラは口うるさい厳しいおばさんとしか見えていませんでしたが、今見ると、真剣に一人の子供に向き合っている人という風に見えます。

優しいマシューは、人に振り回されてしまうひどく不器用な人に見える。

他の登場人物たちも、ああ、そういう感じの人本当にいそう〜と思えます。

この年になって見直したら、こんなに面白い作品だったのだなあと、気づきました。

見返してみると、たいして興味がなかったアニメのはずなのに、覚えているエピソードも多いです。案外、当時も作品にはすっかり引き込まれていたのかもしれませんね。

 

アンがダイアナに比べて随分貧相に描かれていることにも、やっと気づきました。血色も悪く、やせっぽちの、地味な服を着た子なのです。

こんなに貧相なのに、恵まれない境遇の中で、卑屈にもならず、おびえもせず、まっすぐに生きてきた強さを感じさせる子でもあります。

マシューとマリラが、自分たちを名前で呼ばせたのは、そんなアンに対して尊敬の気持ちを抱いたせいなのじゃないかなぁ。

なんて想像をしました。

 

 

 

 

原作もきっと面白いのでしょうね~

 

 

久しぶりのお題 外のことがわからないについて

 

今週のお題「外のことがわからない」

 

 

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ネットのみなさんこんばんは

外のことがわからない?

というとなんといっても、よそのお宅のお考え、ですね。

学校からは学校の考えが知らされるのでわかるのですが、子供の学校の同級生のご家庭では、何をどうお考えでいらっしゃるのだろう。

それは、知らなくても困らないことではあります。

知ったところできっと、うちはうちよ。と、我が道を行くに違いないのです。

知っても知らなくても行動が変わらないのなら気にすることはありません。

でも、人が何をどう見てどう考えて行動しているのについて知ることは、自分のものの見方や行動指針を考えていくにあたって、参考になるのです。

通常であれば学校に行って、お母さんたちの話を聞いてそれを知ることができたわけですが、今はそれができません。

いろんな方のいろんな考えを聞くことができないことに、もやもや~っとした気分がしています。

 

私の「わからない」はそんな感じです(^^)

 

草の勢い

今日また小川を超えて買い物に行きましたが、イネ科の草丈が伸びてました。
ちょっと前は細い葉っぱの管の先から、ちょっぴりだけ柔らかそうな花芽をのぞかせていただけだったのに、もうぐんと伸び上がって、立派な花の房をぶら下げていました。
もうちょっとしたら開いて、実をならせるでしょう。
ああいう草というのは、いつ思い切って伸びるのでしょうか。日のあるうちなのか、日が沈んでからなのか。
中学生くらいの子どもたちみたいに、草は力強くたくましく伸びていきます。
その勢いある姿を、いつまでも見ていたい。いつでもそばで見ていたい。
そんな風に感動しました。

とりあえずやってみて失敗したらまたやってみる

そういう世の中になりますように。

とりあえずやってみるというと、最近はよくわからない料理ばかり作っている。
これはコロナのせい。
ありあわせで頑張っているので、何かとりとめもない感じに仕上がる。
コロナヤロウめ。
もう一度同じものを作れと言われても出来ない。
コロナが悪い。
さっきは、マーガリンと小麦粉と砂糖と牛乳をこんなもんかな?というくらいずつ混ぜて焼いてみた。
何故かふっくらした柔らかい焼き上がりになった。
美味しかったけど、バサッと袋から出てきた量を測りもせずに混ぜあわせたから、同じものはもう二度と作れない。
そう言うと家族はがっかりしてしまった。
コロナには本当に迷惑する。

専門家の先生によると、検査で見えている感染者数の十倍くらいは感染者がいるかもしれないそう。
それで計算してみると、家の方は1000人中一人か二人くらい感染者がいるということになる。
近所のスーパーのお客の中に一人くらい感染者がいて、同じ特売品を手に取り、悩み、棚に戻しているかもしれないということ。

コロナがそっと忍び寄る町。
そういうところで生活している。

最近は玄関前にバケツに水をくんでおいておくようにした。
買ったものをどう消毒するかが目下の悩みどころ。拭いてみたり、シュッシュしてみたり。うまくコロナ退治できているといいけど。

早朝、家族で散歩にでるのが日課になった。
子供はすっかり休業に慣れて、学校が再開されても通学できなくなっているかもしれない。集中力を失っている。私も、朝5時半に起きる自信はなくなった。
学校と言えば、何でテレビは平日日中の時間帯を、子供の教育に譲らないのだろう。
時間割を決めて、国語、算数、理科、社会、英語、技術家庭科、体操、音楽あたりの授業でも放送したらいいのに。パソコンでオンライン授業するより手軽なんじゃないの。放送大学ならぬ、放送義務教育。受信料くらい大目に見て。

そうしたら今度は、9月入学とか言われ出す。うーん。

コロナは9月になっても消えないだろうし、自粛は程度を上下させながら数年は続けていくのだろう。9月入学に変更しても、それだけでは問題は解決しない。どういう形であってもいいから子どもたちに勉強する機会を設けてやる方法を考える方が先のハズ。
9月入学にするかどうかは、その体制が整ってから考える話なんじゃないの。余計考えることや仕事を増やしても自分で自分の首を締めることになるのでは?

なんてことを思う。

新コロナ時代は、とりあえず三密判定士の養成なんてどうかしらん。
新しい国家資格。
三密かどうか判定し、アドバイスしてまわる資格。

新コロナ時代は色々試して失敗してまた試みる時代になればいいなあと、最初の話に戻るのである。

全国一斉マシュマロ・テスト

自粛生活は疲れますね〜
何か、日本中の人がマシュマロ・テストで辛抱強さを試されてるところのような気もしてきます。
辛抱できる人もいればできない人もいるようで。
お前らもっとガンバれYO
ってことなんだか、10万円のご褒美も提示されました。
数ヶ月の減収が10万でなんとかなる気もしないので、

後で10万円渡してあげるから、郵送なりオンラインなりで手っ取り早く受け取れる手はずを整えたら、もう、今すぐにぱーっと10万使っちゃいNAYO!

ってことかしらんなんて庶民の私は感じました。
ストレス解消?
消費促進?
自粛頑張れ代?

しばらくは10万円の使いみちを考えながらお家に閉じこもっていようと思います。
案外それが10万円支給という話の一番の目的なのかもしれませんね。
まだまだ続くマシュマロ・テスト、頑張りましょう〜

それにしても、今回の新型コロナウイルスでは、恒常性バイヤスの怖さをしみじみ感じました。
 そういえば、津波のときも、洪水のときも、大丈夫だと思っちゃった人の多くが被害にあわれたという話を聞いた覚えがあります。
 根拠もないのに大丈夫な気がするだけで大丈夫と思っちゃダメなのだと、肝に銘じます。

住みたい私の部屋

今週のお題「わたしの部屋」

憧れの部屋。
それは、朝になるとじいやがやってきて、
奥様、今日は何の御用もございません。のんびりお好きなようにお過ごしください。
って言ってくれて、お茶とかコーヒーとかちょっとつまむお菓子とか持ってきてくれるお部屋に住みたいです。
じいやが持ってきてくれた蒸しタオルで顔を拭いたら、中庭の見える窓辺で小さなテーブルでお茶をすすりたいものです。甘いお菓子も。
中庭には二羽鶏もいるけど、錦鯉とか亀とかいるのが見えたらいいなと思います。
朝ごはんは、簡単に納豆海苔巻でも出していただこうかしら。お昼は天ぷらそばにしていただけると嬉しいわ。人参たっぷりにして下さい。さつまいもと舞茸も揚げてね。
あたし、ちょっと鯉に餌をやりに庭に出るから、朝ごはんはお庭に持ってきて頂戴。
とじいやに頼んで、そのまま部屋から中庭に出たいものです。
庭には百葉箱みたいな箱があって、そこに鯉の餌と鶏のエサが入っているのです。
池のほとりには腰掛けるのに具合のいい岩があって、そこに座って餌やりをする。
鯉や鶏の興奮もすっかおさまった頃、今度はねえやが納豆海苔巻を持ってきてくれる。
錦鯉の泳ぎと池の周りの四季折々の庭木や草花を眺めながら、美味しく納豆海苔巻にかぶりつく。
できればモッコウバラジャスミンともみじは植えたいです。
そういう感じの部屋に、私は住みたい。

新しい環境に適応する 新しい商売方法を考える

大変なことになってしまったと思っていたコロナウイルスですが、どうも長丁場になりそうですね。
大変なことが起きたんじゃなくて、これはもう、環境の方が急変しちゃったということなのですねぇ。
もう簡単には元に戻りそうもない。
環境が変わったならば、今まで通りの生活を続けようとしても通用しません。生活に工夫と変化が必要になる。
きっと今、たくさんの人が新しいサービス、新しい商品、新しい商売を考えてることでしょう。
どんな風にこれから世間が変わっていくのか、興味津々でニュースを見ています。
今までのところはテレビは、大変だ困る心配だストーリーを主に流していますが、ぼちぼち、こんな工夫してますとか、こんな新商売を初めて儲かってますとか始まる頃ではないでしょうか。

これからは学校も、会社も、毎日通うものでは無くなるのかもしれませんね。
観光地も、予約制や人数制限制になったりするのかも。
宿泊も、食事は部屋で、お風呂は時間で指定されるとか。
外食は持ち帰りが主流になって、配達専門の業者も出来るかもしれません。自前で配達やってない店と契約して、配達だけ請け負う業者です。
スポーツ観戦なども、審判や選手がウェアラブルカメラを身に着けて、ネットで有料配信するようになったり。
その場合、キャッチャーのライブカメラアンパイヤライブカメラのどっちで見たら楽しいのでしょう。監督が一番面白かったりして?
外から見るのではなく、選手の視点から見るように変わったら楽しいかもなあと想像してます。

世の中の変化を見届けて、おばあさんになった頃、昔は今と全く違う常識だったのよ〜と元気に子どもたちに語るため、手洗いうがいに早寝運動を心がけようと思います。

エコーチェンバー現象

最近、エコーチェンバー現象という言葉をしりました。

ああ、こんな便利な言葉があったんだ~と感動したのでちょっと書いておきます。

エコーチェンバー現象ってどういう意味か。

なんでも、狭い人間関係の中で意見の似た人ばかりで話をし続けていくと、自分の意見は正しい。絶対そうだ!という信念が増幅されてますます凝り固まってしまう現象だそうです。

検索をかけると、もっと詳しくていい説明がいっぱい出てくると思います。

ネットって便利ですね。

 

ネットで調べると、SNS上の話が多く出てくると思いますが、こういう現象を私はしばしば実際に目にしてきました。

どこか。

それは、保護者会とか、PTAとか、ママ友ネットワークとかです。

 

毎年新しいクラスというのは多少は何か難しいところがあるのです。

すると、お母さん同士が集まって情報交換を積極的にするべきだ。あなたも参加して。っていう人が出てくる。いわゆるボスママです。

でも、どうも様子をみていると、お母さん同士が情報交換した結果ものごとがいい方向に進んでいくという感じが全然しない。

むしろ事態をますます泥沼化させていた気がすることが多かったです。 

もう、お母さんたちは余計なことはしない方がいいのでは?と疑問に思うことばかり。

 

うちの子宿題すごく時間がかかるの

うちの子も宿題いやだって言ってる~

うちの子も、ぐずぐず言って泣きながら宿題してるよ~

先生、宿題出しすぎなんじゃない

ちょっと多すぎかもね~

そうだよ!多すぎなんだよ!かわいいうちの子に、ひどい!

あんな先生じゃだめなんだよ。

みんなで抗議しよう!

 

そんな感じです。無難に宿題で書きましたけど、たとえば威張ってる子がいるとか、たとえば意地悪な子がいるとか、たとえば先生が強く叱るとか、そんなことでも。

 

このお母さん同士の情報交換がろくでもない方向に展開していく現象に、「エコーチェンバー現象」という名前があったことに、私はびっくりしたのです。

 

これからは、ああ、あのお母さんたち、またエコーチェンバー現象に陥ってるのね~と感想をいだけばよく、すっきりした表現ができていいな~と思いました。

そんな風に、お母さん同士の情報交換に対してちょっと斜に構えた見方をしていることはうすうす皆さん察してるみたいで、私は情報交換の仲間からははじかれています。

とあるボスからはメアドの交換も拒まれました。

さすが、ボスになる人ってすごい。私ならこの人嫌だな~と思ってもメアド交換しちゃうと思いますが、この清々しい断り力。そういうところは、真似したいです。そうですよね、断ってもいいんですよね~。

 

いつも見てきたことに、カッコイイ名前があったことをいまさら知って、驚いちゃったという話でした。

マグロのアラと玉ねぎのこってりした炒め物 サラダ

昨日の晩御飯

 

マグロのアラをにんにく、しょうが、酒、しょうゆにつけておいたものと、

玉ねぎを炒めて砂糖としょうゆで味を調えた、こってりした炒め物を作りました。

案の定家族は大喜びでした

マグロのアラは200円で買ってきたのですが、量が多いからまだあまってます。

リーズナブル~♪

 

あとはサラダ。こってりに対しては、生野菜でさっぱりするのがいいと思います。

コロナウイルスの感染予防のために、生野菜は3回水洗いした後、中性洗剤で洗い、さらに次亜塩素酸の消毒液で消毒しろと言いますが、消毒液ないし~

うちでは、いつもよりたくさん水洗いして、洗剤で洗うだけで済ませました。

 

早く新型コロナウイルスおさまって欲しいです

 

厳しかった卒業式

今週のお題「卒業」

卒業の想い出と言えば、なんと言っても小学校です。
毎日毎日猛練習したシュプレヒコール
全員自分の単独のセリフがありましたが、セリフのタイミングがわからなくなってしまうと困るので、必死でぜんぶ頭に叩き込んだものでした。思えば九九だってあんなに一生懸命覚えなかったのに、覚えようと台本を何度も読み返したことを覚えています。
失敗したら、同級生のみならず、大勢の在校生とか保護者の前で叱られる。そういう恐怖感にかられていました。今思えば、実際本番で失敗したって先生は怒らなかっただろうと思いますが、子供だった当時は、きっと怒鳴られるんだと思い込んでいました。
卒業証書授与も一苦労。
ちょっとでも動作を間違えようものなら猛烈に怒鳴られて、何度もやり直しさせられて、やり直しをたくさんしたせいで、ますます正しくはどうだったのかわからなくなってしまったという、懐かしい想い出。

式の間中、ピクリとも動いてはならず、そんなときに限卒業の想い出と言えば、なんと言っても小学校です。
毎日毎日猛練習したシュプレヒコール
全員自分の単独のセリフがありますが、セリフのタイミングがわからなくなってしまうので、必死でぜんぶ頭に叩き込んだものでした。思えば九九だってあんなに一生懸命覚えませんでした。
失敗したら、同級生のみならず、大勢の在校生とか保護者の前で叱られる。そういう恐怖感で必死でした。
卒業証書授与も一苦労でした。
ちょっとでも順番を間違えようものなら猛烈に怒鳴られて、何度もやり直しさせられて、やり直しをたくさんしたせいで、ますます正しくはどうだったのかわからなくなってしまったという、懐かしい想い出。

式の間中、ピクリとも動いてはならず、そんなときに限ってむしょうに鼻がムズムズしだしたり、目が痒くなって、ずっとジリジリしていた想い出。



鼻がムズムズしだしたり、目が痒くなって、ジリジリしていた想い出。

余りいい思い出な感じじゃありませんが、厳しく長い訓練を続けたせいか、小学校の卒業式が一番厳かだったようにも思います。たぶん全員が真剣な気持ちで、緊張感をもって式に臨んでいたせいかも。

それがいい事なのか、悪い事なのか、そんなことは判りませんが、卒業式といえば、私にとっては何と言っても小学校なのです。

何かとこっぴどく叱られた時期でしたが、自分が一番自分らしくいられた楽しい時期でもありました。

卒業って言うと、そんな想い出が吹き出してきました。

じゃがいも人参玉ねぎのにんにく風味チーズ焼きと揚げ出し豆腐

じゃがいも、人参、玉ねぎを1。センチ弱くらいにスライスして、オリーブオイルとすったにんにく、塩コショウで和えたものを、チーズを載せてオーブンで焼きました。
不味くはないのですが、何というか、テーマがよくわからない料理になりました。
チーズを主張させたいのか、にんにくを主張させたいのか判断できない味。
チーズ無しのほうがうちの家族は好きだったかもしれません。
料理の道はまだまだ険しい。と思いました。


あと揚げ出し豆腐。
今日は油が特売だったのです。
揚出し豆腐は安いけど、喜ばれる料理ですね。

明日は何を作ろうか。
それは明日スーパーに行ってから考えます。

サバのカレー焼き キャベツのにんにくだれ

久しぶりに今夜の献立です。

 

塩サバのカレー風味焼き

キャベツのにんにく塩ダレかけ

ホウレンソウと豆腐の味噌汁

 

以上です。

 

塩サバは、小麦粉、カレー粉をまぶしてフライパンで揚げ焼きしました。

表面はパリッとカレーなんですが、食べたらやっぱり塩サバなのです。

あ?

というのが食べてみた感想です。

まずくはないんですが、洋風の料理かと思ってたら干物だなんてだまされた~

という気持ちになります。

 

今夜はそんな感じの晩御飯でした

 

未来予想

さて、少し先の未来を予想してみます。

○電車は窓を開けるようになると思います。換気して欲しいと乗客からの要望が出て、寒いけど窓を少しだけ開ける。

○バス、タクシーも窓開けすると思う。

○早朝、夕方に小学生が外遊びする。多分一人で出来るローラースケートが流行る。親が付き添って見守ってる。

○スイッチのリングのやつが売れる。

○通信教育を始めるうちが増える。

○子供ユーチューバーが増える。

○オリンピックが無観客開催。

○審判がウエアラブルカメラをつけて、映像がネットで放映される。ライブカメラが、競技場の地面などに入っていて、すごいアングルからの映像が見られる。

○選手がウエアラブルカメラを身に着けて競技する。

○競技会場観客席にてドローンが飛び交って映像を撮ってる。

○ネットを通して競技場に声援を送れる。競技場にはスピーカーがいっぱいおいてある。

○子供が日中外に出てると非難される。

猫のうらやましいところ

お題がいつのまにか、うるう年になってしまった。

猫について書きたかったから本当は書きたかった気持ちを、書きとめておきます。

 

猫。

それはやわらかい生き物。

猫。

それはふかふかの生き物。

私は猫に生まれなかったことを心から悲しんでいる。

猫をうらやんでいる。

母猫のむわっとしけったお腹の毛に顔をつっこんで、いくらでも曲がるようなやわらかい体を丸めて、みぃぃ、と鳴きたかった。

ひげを広げて、爪を広げて、ふぅっとうなりたかった。

何も見えそうにない宙をじっと見つめて、カッと瞳を開きたかった。

狭くて入れそうにない隙間に入り込んで、やっぱり入りきれず、後じさりしてもがきたかった。

自分の背の何倍も高い塀の上に、身軽に跳び上がりたかった。

すくみそうに高い屋根の上から、ひらりひらりと地上に降り立ちたかった。

敵が来たら慎重に跳び退って逃げ、美味しいものは、ばらばら散らかして食べ、

自分よりうんと大きな人間の膝に、我が物顔で乗り上がりたかった。

そしてごろごろと喉を鳴らして、気に入らないところを触られたら、シャッとひっかきたかった。

目が覚めると、とりあえず、うにゃ、にゃ、にゃと伸びをして、そして縮む。

なんでそういう、猫に生まれなかったのだろう。

 

いや、もしかして、こうしてこんなにうらやんでいるのだもの。

私は本当は猫かもしれない。

きっと、猫なんだ。

のびのび、猫らしく生きていてもかまわないんだ。

だって、猫なんだもの。

 

朝おきたら、うぉーっと伸びをして、

体は固いけれど、まあ年のせいだからしかたがない。できるだけ丸くなって縮んでもう一度布団にもぐりこみ、

気に入らない人には嫌みの一言くらい言い、

甘やかしてくれそうな人にはとことんわがままを言い、

敵がきたらさっと知らんぷりしてやりすごし、美味しいものはこっそり独り占めし、

高いところは怖いから避け、

体は重いから膝に負担がかからないようあまりはねたりとんだりはせず、

狭くて入れそうにない隙間をそうじしようと入り込んで、やっぱり入りきれず、これはヤバイと後じさりしてもがき、

何も見えそうにない宙をじっと見つめて、長い時間ぼやーっとし、

夫のひげをみつめては、ああ、女に生まれてよかった。ひげが生えてこないから。顔にこんなものが生えてきたら生きていけないワ。としみじみ幸福感を味わい、

大きくなってくそ重たくなったくせに、いつまでも「お母さん、お母さん」と甘えてのしかかってくる子供に押しつぶされて、「ぐぇぇ」とうめかされている。

 

そう。これは猫。もう猫。

私は猫なんだ。

 

そんな風に思って、生きていけばいいのである。