気づけば節分
気づけばもう節分。
もう年が明けてひと月たったと気づいてしまって、
ああ、こんな風にいたずらに年をとっていくんだなとコワイ気持ちになる。
思春期の子と、介護期の親をかかえて自分は更年期。
期がたくさん重なって毎日じたばたしているうちに、あっという間に月日は過ぎていく。
子供の頃は、節分だってわくわくした。
鬼のお面をかぶった人にマメをぶつけるようなことはしなかったけれども、大きなマスをかかえて、家じゅうに豆をまいてまわるのが楽しかった。
部屋の窓を少しずつ開けて、
「おにはーそと、おにはーそと、ふくはーうち」
と唱えながらばらばら豆を撒く。
拾った豆を年の数だけ数えて食べるのもうれしかった。
数え年なら、実年齢より1つだけ余分に食べられる。
数え年というものを知ったのは、節分の時だったと思う。
明日になれば、残った豆を年の分だけと言わず全部食べられる。
マスに残った豆を食べるのを楽しみにしていた。
夜には神社にいって、豆を撒いてきた。
そして年越しそばを食べる。
こういう、過ぎし日の思い出の時間よりも、これからやってくる未来の時間の方が圧倒的に短いってふと気づいてしまった。
だから何というわけではないのだけれども、結局、今を大事にするべきなんだなと思った。