赤毛のアン

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最近、赤毛のアンの再放送を見てます。

大人になってから見ると、子供の頃とは全く違った見え方になるものですね。

そもそも子供の頃、赤毛のアンはさほど好きな話ではなかったのです。アンという女の子もあまり好きになれなかった。

名前の最後はeという綴で呼んでとか、あった途端に大親友の誓いだとか、ちょっと思い込みが激しくてついていけない。些細なことでいちいち大騒ぎする面倒くさそうな女の子。多分友達にはなれないだろうなぁ。と感じていました。何が面白いのか、あまり良くわからなかったのです。見てたけど。

でも、子育てをしてきた今見ると、とても楽しめるお話に変わりました。

 

マリラが説教する度、そしてため息をつくたびに、

 

 わかる〜!

 

と思うのです。

どうにかこうにか、教えるべきことを教えてやろうと頑張っても、イマイチ子供には響かない。のれんに腕押し。糠に釘。

話して聞かせても、何度も聞かせても、子供の頭の中は、こちらの言ったほんの些細な部分に引っかかり、「空想」なんだか「想像」なんだかの翼をはためかせて明後日の方向にすっ飛んでいってしまうのです。一番伝えたいことは何にも伝わらない。

 

この不毛感!

 

「違う!そんな話はしてない!」

と何度もキレそうになるわけです。

もう、ため息出ちゃうよね~

わかる~

 

マリラが切れ気味に、

「アン!アン・シャーリー!!」

ってしかりつけるたび、共感で胸いっぱいになってしまうのです。

 

子供の頃、マリラは口うるさい厳しいおばさんとしか見えていませんでしたが、今見ると、真剣に一人の子供に向き合っている人という風に見えます。

優しいマシューは、人に振り回されてしまうひどく不器用な人に見える。

他の登場人物たちも、ああ、そういう感じの人本当にいそう〜と思えます。

この年になって見直したら、こんなに面白い作品だったのだなあと、気づきました。

見返してみると、たいして興味がなかったアニメのはずなのに、覚えているエピソードも多いです。案外、当時も作品にはすっかり引き込まれていたのかもしれませんね。

 

アンがダイアナに比べて随分貧相に描かれていることにも、やっと気づきました。血色も悪く、やせっぽちの、地味な服を着た子なのです。

こんなに貧相なのに、恵まれない境遇の中で、卑屈にもならず、おびえもせず、まっすぐに生きてきた強さを感じさせる子でもあります。

マシューとマリラが、自分たちを名前で呼ばせたのは、そんなアンに対して尊敬の気持ちを抱いたせいなのじゃないかなぁ。

なんて想像をしました。

 

 

 

 

原作もきっと面白いのでしょうね~