とりあえずやってみて失敗したらまたやってみる

そういう世の中になりますように。

とりあえずやってみるというと、最近はよくわからない料理ばかり作っている。
これはコロナのせい。
ありあわせで頑張っているので、何かとりとめもない感じに仕上がる。
コロナヤロウめ。
もう一度同じものを作れと言われても出来ない。
コロナが悪い。
さっきは、マーガリンと小麦粉と砂糖と牛乳をこんなもんかな?というくらいずつ混ぜて焼いてみた。
何故かふっくらした柔らかい焼き上がりになった。
美味しかったけど、バサッと袋から出てきた量を測りもせずに混ぜあわせたから、同じものはもう二度と作れない。
そう言うと家族はがっかりしてしまった。
コロナには本当に迷惑する。

専門家の先生によると、検査で見えている感染者数の十倍くらいは感染者がいるかもしれないそう。
それで計算してみると、家の方は1000人中一人か二人くらい感染者がいるということになる。
近所のスーパーのお客の中に一人くらい感染者がいて、同じ特売品を手に取り、悩み、棚に戻しているかもしれないということ。

コロナがそっと忍び寄る町。
そういうところで生活している。

最近は玄関前にバケツに水をくんでおいておくようにした。
買ったものをどう消毒するかが目下の悩みどころ。拭いてみたり、シュッシュしてみたり。うまくコロナ退治できているといいけど。

早朝、家族で散歩にでるのが日課になった。
子供はすっかり休業に慣れて、学校が再開されても通学できなくなっているかもしれない。集中力を失っている。私も、朝5時半に起きる自信はなくなった。
学校と言えば、何でテレビは平日日中の時間帯を、子供の教育に譲らないのだろう。
時間割を決めて、国語、算数、理科、社会、英語、技術家庭科、体操、音楽あたりの授業でも放送したらいいのに。パソコンでオンライン授業するより手軽なんじゃないの。放送大学ならぬ、放送義務教育。受信料くらい大目に見て。

そうしたら今度は、9月入学とか言われ出す。うーん。

コロナは9月になっても消えないだろうし、自粛は程度を上下させながら数年は続けていくのだろう。9月入学に変更しても、それだけでは問題は解決しない。どういう形であってもいいから子どもたちに勉強する機会を設けてやる方法を考える方が先のハズ。
9月入学にするかどうかは、その体制が整ってから考える話なんじゃないの。余計考えることや仕事を増やしても自分で自分の首を締めることになるのでは?

なんてことを思う。

新コロナ時代は、とりあえず三密判定士の養成なんてどうかしらん。
新しい国家資格。
三密かどうか判定し、アドバイスしてまわる資格。

新コロナ時代は色々試して失敗してまた試みる時代になればいいなあと、最初の話に戻るのである。