間違い探し

 

近所のスーパーでまた、「間違い探し」が流れてました。
それでふとやりたくなって、間違い探しをやってみました。
デニーズの間違い探しは難しいですね。一見簡単そうに見えるのに、実際やると最後のひとつが見つからない。

 

そして思い立って、間違い探しの間違いの方と正解の方を図にしてみました。
手書きで正規分布の曲線が書けなかったので、エクセルで図を作りました。
とても時間がかかりました。
仕事でもないのに何をこんなに自分はがんばっているのでしょう。

いったんはじめてしまったので最後まで頑張るのだ。と言い聞かせ、何故だか作った図なので、よかったら見て行って下さい。


さて世の中、こんな感じでいろんな人たちが分布していると思います。

 

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で、間違い探しの間違いの方と、正解の方です。こんな感じかと思います。

 

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真ん中らへんに多数派勢力がいて、その人たちが正解の方。
そこからちょっとはずれてる少数派が、間違いの方。
全部足すと間違い勢力もなかなかの人数いそうですが、それぞれ派閥が別々で共闘することはないので、正解勢力には打ち勝つことができないのだと思います。
そもそも勝つ必要も特にないと思います。




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そんな私たち正解派と間違い派ですが、たいていは、間違いの方に生まれた人たちは、正解の方のふりをしながら生活していると思います。
その方が世の中うまくいくからです。
そして正解側の人たちも、なんとなく間違い側の人を仲間として受け入れている。
あ、こいつ間違い側の人だ!と気づいていても気づいていなくても、ピンクのライン内に入るようにふるまってさえいれば、特に問題はないのです。だからゆるーく受け入れてることが多いと思います。

たまに、どうしてだかやけに攻撃的な人もいます。おまえは不正解な奴だと責められて困ることもありますが、そんな攻撃的な人も実は少数派です。どこにいっても攻撃されるというほどのことはありません。
ふつうは、その人がどんな生まれかは問題とならず、振る舞いが常識の範囲に収まっているかどうかを気にされます。
振る舞いさえ範囲内におさまっていれば、「ふつうの人」としてやっていけます。
そんな世間は、一見、一切多様性がないかのように見えます。
でも実は多様な人が一様なふりをして生活しているだけで、実際のところは多様なので、多様性に関しては心配することは何もない気がします。
ピンクのラインがどの辺の位置にあるのかはわかりませんが、意外とたくさんの人が、実は間違い側に生まれているんじゃないかと私は思っています。
わざわざ「私間違いです」って宣言するものでもありませんから、見えないだけで、隠れ間違い派がたくさんいるのではないでしょうか。

だから、わざわざ多様性を認めるとか受け入れるとかしなくてもいいんじゃないのかなぁという気が私はするのです。
何か天変地異がおきても、実は多様ではあるので誰かしらは新しい環境に適合的な人がいて、きっと生き延びることでしょう。

 

間違い探しの歌は、ピンクのラインの外側に生まれて、正解のふりをしてたら苦しくなってたんだけど、
ちゃんと生まれたままの自分を認めてくれる人が現れて、ピンクのラインに拘ってた自分に気付いた。
苦しかったのは、そのラインの内側に生まれなきゃだめなんだ。内側に生まれなかった自分はだめな人間なんだ。というこだわりが自分の中にあったせいだった。君はちっともそんなこと気にしてない。拘っているのは自分だけだった。そうだ。よく考えてみるとそんな生まれへの拘りなんてものはどうでもよかったんだな。
っていう歌でした。

流行ったということは、そういう、ピンクラインへのこだわりの苦しさに共感する人が多いということでしょう。
ということは、結構ピンクライン範囲からはずれてる人が多いということだと思います。

なるほど、この世はちゃんと多様だし、みんなうまく立ち回ってる。
ときどき、ピンクのラインなんてどうでもいいんだって曲を聴いて気持ちを楽にしたりもしてる。

この曲を聴いて共感してる間違い側のみなさ~ん!私も間違い側ですよ~!言わないけど。

少しだけ人とずれてしまっているみんなは、人類の多様性に貢献してるのです。それは豊かで重要な任務です。役にたつかは不明ですが、人間の可能性を広げるという大切な役割があるのです。

正解側のふりをするのは疲れますが、気に病むようなことではなく、ひっそりと、でも誇り高く、自分でいればよいと思います。

脳みそは鍛えると育つので、時間はかかるし大変ですが、「ふつう」のふりもいつかは上手にこなせるようになるでしょう。

 

スーパーで「間違い探し」が流れていると、夕食の献立に悩む合間に、そんなようなことを思います。