癒されるべき苦しみ 腐女子について思う3
今日は腐女子的な物語について。
腐女子が腐女子的な性描写によって癒されるのは、腐女子ならではの事情があるのだろうというところまでがこの前の話だったっけ。
じゃあ、その事情はどんなものなのか、その事情の内容が今日のテーマかな。
癒やす物と癒やされるべき苦しみは、凸と凹の関係と考えていい。苦しみに対して的をハズした癒やし道具は、役立たずどころかかえってストレスのもとになるからだ。丁度よく癒やしどころにハマるのであれば、凸凹関係と思っていい。
そういうことをこの前考えた。
人の苦しみは目に見えないけれども、癒やし道具は目に見えるので、これをヒントにその苦しみを想像できるはず。
この場合目に見えている癒やし道具は腐女子的な物語だ。
とりあえず、それらから感じることを羅列してみる。
性描写が激しい
性行為がありえないくらい長時間(本当に同じことを同じ時間やったら擦り切れて痛そう)
人物の役割分担が固定的
人物間の役割分担が、古い時代の男女関係に似ている。
攻の受に対する態度、受の攻に対する態度は、昔の少女漫画の男女関係に似ている。
その関係自体が現実的ではなく、女性の妄想を思わせる。
まとめると、
女性が妄想する古い時代の男女関係を、
男同士に演じさせる。
二者関係は固定的であり、入れ替わらない。
性描写が特に強調されている。
現代社会で男女関係の軋轢と言えば、男尊女卑。まだ、あるところには濃いのがあるみたい。でも、男尊女卑のストレスというのは腐女子にはしっくりこないのである。
もし日常生活で男尊女卑的な経験をして苦しんでいるなら、もっと攻撃的な仕方でストレスを解消すると思う。陰湿にやるなら、実際にできることがいっぱいある。古典的なやり方だと、お茶の中にぞうきんの絞り汁をばれない程度に入れてやるとか、床ブキぞうきんで湯呑を拭いとくとか、机にツバを塗り込めとく、とかいろいろ。こういう、不愉快な男性に対して直接攻撃的な態度に出るほうが自然だ。腐女子趣味にはそういう攻撃性はない。だから、実社会の現実の男尊女卑は、腐女子にとっては問題ではないと思う。
では、なんだろう。
ここで、試しに一回登場人物の性別を無視してみる。すると、
昔見た、少女にとってやたら都合のいい少女漫画や少女小説とそっくりの物語
+
性の描写
が残る。
腐女子が紡ぎ、読む物語は、ずばり、
古臭い少女漫画の世界+性描写
なのだと気づく。少女漫画の世界では、たった一コマ、それも花びらで隠されて表現されていた性のシーンが、腐女子の世界では逆にみっちりと表現されているけれども。
まだ実社会にデビューするより前、夢見ることが許されていた時代に馴染んだ、ご都合主義の恋物語の世界に遊ぶ。
これが腐女子的な世界の癒しかな、という気がする。
子供時代に戻って、こうじゃなきゃヤダ、ああじゃなきゃヤダ、と駄々をこね、甘える感じなのかも。
まだ性別問題と性描写へのこだわりが残っている。それはまた今度。疲れた。
今日そこまで話を進めたかったけど、疲れてしまった。