雲に踏まれた話

今週のお題「空の写真」

写真がお題ですが、写真はありません。写真はありませんが、空の想い出がありますので、それを書きます。

何年も前のことですが、川の近くに住んでいたことがありました。平らなところでした。ぐるっと首を回すと、遠くまでみわたせる低い土地でした。
川の土手には、バイクが走れる程度の幅の狭い舗装道路がありました。ずっと続いている道でした。街灯もない道でした。川の向うのスーパーに行くときの通り道で、散歩道で、家族で土手道と呼んでいました。私は、その土手道がどこまで続いているのか知りませんでした。土手道を川上に行けば、小さな幼稚園があることと、川下に行くと、細い橋と畑があることを知っていました。川はゆったりと蛇行していたので、土手道は、ほぼ真っすぐに見えました。

夏でした。
土手道の川側はイネ科の草やクズの葉がみっちりと生えていて、道を歩くと人の気配に驚いてバッタが跳び出てきました。
日にやけたアスファルトが、うねっていました。
誰もいない土手道を歩いていると、世界中に人間はポツンと自分一人。
そういう気のする晴れた日でした。
強い風が吹いていました。
多分上空にはないもっと強い風。
歩きながらふと、土手道の先を見ると、何か黒いものが道を走って来ます。
凄い速さでこちらに近づいて来ます。
これは何かだ。何かの影だ。
見上げると雲が一つありました。
雲の影が私を踏んで、さっと通り過ぎました。
振り返ると、今私を踏んでいった影が、来たときのままの早さで、そのまま土手道を真っすぐに走って遠ざかって行くのが見えました。
青い空には雲が浮いていました。

急ぎ足の雲が、今踏んでいったなあ

世界中に自分しかいないみたいな土手道で、そういう雲の想い出が出来ました。

BEM 感想

ベム見ました。

水の妖怪が現代人っぽかったですね。
こんなふうな人見たことあるなぁと思いました。
今後もこんな調子で、何処かの博士に改造されて妖怪化した、いろんな種類の現代的な犯罪者イメージの人が出てきて闘うのかな?
通り魔殺人とか、愉快犯とか、テロリストとかそんなの。
今回のは、やりたいやりたいと言ってたから、レイプ魔ですかね。
お手々から放ったビリビリが、案外長時間効いていて、思わず笑いました。

三人で橋の上に立ってるのは、アッパーにもダウンにも妖怪人間だから入れないんだよってことでしょうか。
初回はわからないことがいっぱいあって、楽しいですね。
そのうちアッパーの街も登場するのかな。どんな小綺麗で素敵な街だか見てみたい。

見た目はほぼ人だけど、なお人になりたいというからにはナニかしら現状で困ってることがあるのでしょう。
画面ではわかりませんが、実は体が超臭いのかもしれません。


次回が楽しみです。

腐女子道 腐女子について思う4

さて、またしても腐女子の世界をもっと考える。

だあれも読んでないのでノビノビ行ってみよう。

 

腐女子作品世界には、特徴的な性質がある。

先日はうっかりしてたけど、今日気がついた。

 

腐女子的な世界は、

 

作法に煩い

 

のだ。

 

攻と受が決まっていること

それが固定的であること

女性は登場してはならないこと

型が決まり作法が決まり、まるで茶道や、和装の世界のようである。

うるさ型が、ああではダメ、こうではダメ、こうでなくてはならない、と事細かに煩いことをとやかく言ってくるあの世界である。

それと同じ空気感が漂うのである。こうなるともう、これは腐女子道とか呼んだほうがいいのかもしれない。

というわけで、私は、

腐女子道」

と呼ぶことにする。

 

こうして考えると、腐女子道をたしなむのはどのような人かその人物像が感じられてくる。

形を決め、作法を好む人である。

「ねばならない」を好む人である。「ねばならない」で縛ることを好む人である。

だから腐女子道にはたくさんの「ねばならない」がある。「ねばならない」は正しく守られる必要がある。守られなくては不満がたまる。

 

癒やしと傷の凸凹関係が見えてきた気がしないだろうか。

 

腐女子たちは現実生活で不満をためている。それは、彼女たちの思う「ねばならない」が守られないせいだ。では、誰が守らないのか。自分ではない。他者である。他者に「ねばならない」を守らせたい。自分の支配を行き渡らせたい。腐女子にはそんな衝動と満たされなさがあるのではないか。

 

その不満が向かわせるのが、ただしく「ねばならない」が行き渡る、美しい新世界なのではないか。

その世界に腐女子自身は登場しない。何故ならば、腐女子腐女子の新世界の神だからだ。登場人物とは、神に支配される者たちだ。登場した者は、つま先から頭の天辺まで、腐女子という神によって支配される。神は隅々までを支配し、「ねばならない」を行き渡らせその運行を見守るのである。

腐女子世界に接していると何となく感じる窮屈さは、こういう「ねばならない」の圧迫感だったのかもしれない。

 

何故男同士か

 

最大の疑問。

でもこれは、腐女子道における腐女子の新世界が、腐女子たちの満たされない願望、欲求を充足させるためのものなのだ、ということから説明がつく気がする。そのまんまそれが願望だということ。

大抵の少女マンガは、男性に「攻」を受け持たせて女性に「受」を受け持たせる。女性側はその気がないけど男性側がやる気まんまんでもう我慢できなくて無理矢理奪われちゃうというヤツだ。壁ドン、床ドンだ。

男性漫画だと逆に、恋愛感情に鈍感な主人公が、積極的な女の子たちに囲まれていつの間にかハーレムが出来てる話ばかりである。

承認欲求という事もあるのだろうけれど、性に対して積極的であることは格好悪いという「ねばならない」が漫画の世界にはある。

男も女もそんなもの読んでるから、少子化が進んじゃったんじゃないのかという話はおいておく。

女性誌には「抱かれたい男」という言い回しもある。「抱いて欲しい男」という言い方ではだめなのである。自分から「抱いて」と強請りにいくようなニュアンスは許されない。あくまでも、自分はその気はサラサラないんだけどあっちがやる気まんまんでもう我慢できなくて無理矢理抱かれちゃう、というのがお望みなのである。

何しろ積極的なのはだめ。

こういう「ねばならない」を真面目に守ろうとしたとき、自分の性衝動の積極性は行き場が無くなる。つまり、マウントポジションを取りたい欲求。あけすけに言えば、イケメンを押し倒してあれやこれや虐めたいという欲求。

新世界の神となった腐女子たちは、「受」を男性にして痴態を描くことで自分のマウント欲求を満たし、同時に、「攻」も男性にすることで女性は性に消極的ですねあら「ねばならない」という決まりもしっかりと守っているのではないか。

こうして、「攻」「受」両方をやりたいという自分の願望をいっぺんに充足させている。

そういう、性のドリームランドなのかもしれない。

つまり

よくばりセット

そういう風に私は思った。

 

恐竜超世界2 ステキにうさんくさい

恐竜超世界の2回目放送分の感想です

前回博士たちは骨や卵と寝かされてましたが、今回は素手でトカゲ捕まえてました。
すっごく楽しそうでした。
でも、何させてるのでしょうね。

今回は海竜の話。
モササウルス。
ジュラシックパークで最期に海から飛び出て、改造ティラノを食べちゃったやつです。
モササウルスは赤ちゃんを産んでたそうです。
育てたかどうかは不明ですが、育ててたCG動画が流れてました。群れのみんなで協力して赤ちゃんを守っていました。

博士たちはきっときっちり証拠立てて確からしさを求めてるんだと思います。労働時間の間中、科学してるんだと思います。
が、放送では細かいことはザックリさらっと流されるので、恐竜たちのCGの映像のうさんくささがいい感じに増してました。

ああ、なんて、うさんくさい

こういう胡散臭さが、恐竜の話の醍醐味だと思います。
リアルなCGで見せられると、より一層うさんくさい。
ステキですね。

さて、CGです。
前回は良かったと思ったんですが、何だろう。水は難しいのか、そこに恐竜がいる感じが全然しませんでした。
波打ち際自体、何か妙。
重量感も変。恐竜が軽そうに見える。発泡スチロールが動いてるみたいな感じでした。
モササウルスの泳ぎも変。
何か小さい種類のペンギンぽかった。サイズ感と動きとがあってないような感じで落ち着きませんでした。
多分CGも絵と一緒で、ニンゲンの目にそれらしく映る線があるのだと思います。
写真で撮った線よりもより本物らしく見える線が。
それがまだ発見されていないのか、発見してるけど実装できてないか。まだまだなんだなあ。
トカゲの肌合いもみょうに硬そうでした。生き物っぽくない。
今回のCGは残念な出来でした。
ただ、水中の小魚の群れの動きはカッコ良かったと思います。
水中と言えば、何であん何荒涼としてたのでしょうね。海藻も生き物もいない、寂しい海でした。

CGについてはもう一つ。リアルに寄せたいのか、漫画によせたいのかどっちなの?と思いました。
恐竜たちに擬人化したような動きをさせるのは何故?

漫画に寄せるならもっと思い切りマンガに寄せたらいい。コミカルな動きを指せて楽しく師ちゃったらいい。
半端なのは気持ちの悪いものだなあ、と思いました。

癒されるべき苦しみ 腐女子について思う3

今日は腐女子的な物語について。

 

腐女子腐女子的な性描写によって癒されるのは、腐女子ならではの事情があるのだろうというところまでがこの前の話だったっけ。

じゃあ、その事情はどんなものなのか、その事情の内容が今日のテーマかな。

 

癒やす物と癒やされるべき苦しみは、凸と凹の関係と考えていい。苦しみに対して的をハズした癒やし道具は、役立たずどころかかえってストレスのもとになるからだ。丁度よく癒やしどころにハマるのであれば、凸凹関係と思っていい。

そういうことをこの前考えた。

 

人の苦しみは目に見えないけれども、癒やし道具は目に見えるので、これをヒントにその苦しみを想像できるはず。

 

この場合目に見えている癒やし道具は腐女子的な物語だ。

とりあえず、それらから感じることを羅列してみる。

 

性描写が激しい

性行為がありえないくらい長時間(本当に同じことを同じ時間やったら擦り切れて痛そう)

人物の役割分担が固定的

人物間の役割分担が、古い時代の男女関係に似ている。

攻の受に対する態度、受の攻に対する態度は、昔の少女漫画の男女関係に似ている。

その関係自体が現実的ではなく、女性の妄想を思わせる。

 

まとめると、

女性が妄想する古い時代の男女関係を、

男同士に演じさせる。

二者関係は固定的であり、入れ替わらない。

性描写が特に強調されている。

 

現代社会で男女関係の軋轢と言えば、男尊女卑。まだ、あるところには濃いのがあるみたい。でも、男尊女卑のストレスというのは腐女子にはしっくりこないのである。

もし日常生活で男尊女卑的な経験をして苦しんでいるなら、もっと攻撃的な仕方でストレスを解消すると思う。陰湿にやるなら、実際にできることがいっぱいある。古典的なやり方だと、お茶の中にぞうきんの絞り汁をばれない程度に入れてやるとか、床ブキぞうきんで湯呑を拭いとくとか、机にツバを塗り込めとく、とかいろいろ。こういう、不愉快な男性に対して直接攻撃的な態度に出るほうが自然だ。腐女子趣味にはそういう攻撃性はない。だから、実社会の現実の男尊女卑は、腐女子にとっては問題ではないと思う。

 

では、なんだろう。

ここで、試しに一回登場人物の性別を無視してみる。すると、

 

昔見た、少女にとってやたら都合のいい少女漫画や少女小説とそっくりの物語

  +

性の描写

 

が残る。

 

腐女子が紡ぎ、読む物語は、ずばり、

古臭い少女漫画の世界+性描写

なのだと気づく。少女漫画の世界では、たった一コマ、それも花びらで隠されて表現されていた性のシーンが、腐女子の世界では逆にみっちりと表現されているけれども。

 

まだ実社会にデビューするより前、夢見ることが許されていた時代に馴染んだ、ご都合主義の恋物語の世界に遊ぶ。

 

これが腐女子的な世界の癒しかな、という気がする。

子供時代に戻って、こうじゃなきゃヤダ、ああじゃなきゃヤダ、と駄々をこね、甘える感じなのかも。

 

まだ性別問題と性描写へのこだわりが残っている。それはまた今度。疲れた。

今日そこまで話を進めたかったけど、疲れてしまった。

これでオリンピックもバッチリ 技検出機能付きテレビ

こんにちは

世界の皆さんおげんきですか。

毎度お世話になっております、架空商品研究所から、今日も元気に新商品のご紹介!

 

今日、あなたにおすすめいたしますのは、こちらの大型テレビです!

 

こちらのテレビ!

なんと、リモコンがついています。

それだけではありません。

このリモコンをよくご覧ください。

これまでのどんなテレビリモコンにもついていなかった、

「スゴワザ」

と書いてあるボタン!

これですよ〜

このオレンジと水色のストライプ柄のボタンです。

 

このボタンを押しまして、スポーツ観戦をすると

なんと!

放送中の選手の演技から技を検出して、注目ポイントを○で囲い、矢印で示し、技名、難易度、得点を表示してくれます。

 

この機能をオンにすれば、今日からあなたもスポーツ解説者!

何が難しく、何が評価されるのか立ちどころに通になれる、魔法のボタンです。

 

今まで、テレビで解説者がうめいても、声を上げても、どこが感動ポイントだったのかわからずちょっぴりつまらなかったあなた!

そう、あなた!

これであなたもオリンピックをより楽しく、面白く観戦できることでしょう!

解説の人と一緒になって、

「あ〜〜〜!」

とか

「う〜〜〜ん」

とか

「これはっ!これはスゴイ!」

とか言って楽しんで下さい!

今ならオリンピック前年記念キャンペーン中です!

この機会に是非、お買い上げください。

 

海の夢をみる

今週のお題「海」

海を見れば、
「海だ!」
「海が見えた!」
と叫んでしまう。
内陸で生まれ育つとそうなるんだろう。
たまにしか見ない海は、簡単に、子供の頃の海への憧れの気持ちを表に引き出してしまう。
そのトキメキは大人になっても消えない。

海は私にとって重要な何かだ。

いつか、ひなびた海辺の町で、小さな小屋に住んで、日がな一日潮の満ち干を眺めて暮らしてみたい。
日が登って、沈んで、波は絶え間なく寄せて、ゴロゴロと小石のぶつかる音がやまない。
仕事に疲れれば、そんな想像をよくする。
一匹のヤドカリになって、波にもまれていたい、とも。
大きな波に飲まれれば、泡で視界がいっぱいになる。私は潮臭い水と一緒に目を回す。
水が耳でごぼごぼと鳴る。

私の海は、穏やかで、激しく、誰もいない。
それで私は、眠る前に、海の夢を見る。

心を緩める 腐女子について思う2

先日、癒し方向が

体→精神

精神→体

などと思ったのだけれども、思いついたのは体を癒やす関係が多かった。多分私、体が疲れてます。今梅雨時で湿気のせいかだるくて…

さて、体の方は置いといて、

精神→体

の癒しの方を見てみます。
そっちの方が興味あるからです。

これはどんなパターンかまた思い巡らせてみます。調べません。イメージしてみるだけ。

すると、

楽しいことをする
開放感を味わう
自然と親しむ
ぼんやりする

そんな感じのことが浮かぶ。

心が緩むような感じでだいたい一致している。

心の癒しというのは、


心を緩めること



と、思うことにします。

これは、普段感じている緊張感だったり、掛かっている圧が抜けるようなイメージかと思います。

逆から言えば、心の癒やしを求めるということは、その人の心には日々圧がかかっていて、凝り固まってる。ということを意味してる。

そんなのわざわざ言うほどのことでもなく、それは誰でもそう。
誰でもそうなんですが、その心の緩め方にも人それぞれの心の事情が絡むんじゃあないのか。
何をしても癒されるというわけじゃなく、その人の心の、緩めるべき部分を緩めなくては癒しにつながらないのではないか。

血行が悪い人は体を暖める必要があるから温泉に入る。
こういう人は、多分室内で読書しても癒やされない。
普段屋内にこもってばかりの人は、自然に親しんで解放的な空間を味わう必要があるから、山やら海やらいく。
きっと、この人はジグソーパズルをして過ごしても癒やされない。
敵が多くギスギスした人間関係の中で過ごしている人は、優しい気持ちをあじわう為に犬猫を可愛がる必要がある。
この人が、誰かの悪口を言い合っても、癒されることはないと思う。

癒されたという体感をえるのは、その人の凝り固まった部分にピンポイントで働きかける必要がある。

だとするならば、腐女子腐女子的なもので癒やされることには、やはり腐女子ならではの事情がある。

今日はそんなことを思いました。

明日は腐女子的な事情がについて考えて見るかもしれません。


ところで、太字にできなくなりました。どうしたことでしょう。

どろろ 感想2

さて、みなさまこんにちは

そろそろ頃合いでしょうので、どろろ感想書いてみます。
あまり万人向けの作品ではありませんでした。視聴する人を選ぶ作品です。

人物設定の整合性
作品内の世界設定の整合性
エピソード間の整合性
いずれも破綻していたと思います。

話の整合性が気になるタイプの人には完成度の低い、楽しめない作品になってしまっていたと思います。

特に最期の方の家族もののドラマは、無理に入れ込んできたような違和感がありました。
ずっとダラダラ続いた連載漫画が、終了際に急にシリアスな話をぶち込んで来るのと似てました。尻切れトンボにならないためのシリアス展開です。

素人考えですが、百鬼丸についてはこんなにウェットなストーリーにしないほうが良かったんじゃないかと思います。
葛藤や成長がテーマじゃなくて、目標達成がテーマで良かったと思う。ドライに妖怪退治して、体を取り戻してけば良かった。
ウェットに葛藤、成長するのはどろろの方で、それも百鬼丸に置き去りにされた後でいいんじゃないかなと思いました。

同じ作品であっても、人によって見る部分は異なりますね。セールスマンは、同じ商品であっても、お客に合わせて売り方を変えるそうです。いいと感じる入口側凄く人によって違う。きっとこの作品がマッチする人もいたと思います。

私は合いませんでした。

癒やしの種類 腐女子について思う1

癒やしってどんなことなんだろう。

最近腐女子という人に興味があって、何だかその人たちが言うには、男☓男の腐女子的性描写のある作品を読むと、すごく癒やされるらしい。

腐女子的性描写というのが、そもそもやけにややこしいもののよう。そこは今のとこ深くはつつかず、フワッと、婦女子的なものということで風呂敷にまとめて包んでおく。

で、腐女子腐女子的なもので癒やしを感じるとき、その癒やしというのはどんな感じのものなのか。

ということを、今日スーパーの前で思いついてしまった。

そこで、じゃあそもそも癒やしにはどんなものがあるのかしら、という方向に気分が転がった。

 

そういうときは、今どきなら癒しというキーワードでネット検索したらいいのだろう。

でも多分広告ばかりが引っかかる。

めんどうだ。

何だかね。

で、自分で思い巡らせるという、安直な方法を取ることにする。

 

①血行がよくなる場合

 温泉など

②筋肉の凝りがほぐれる場合

 マッサージなど

オキシトシンが出る場合

 赤ちゃんやねこ、犬などとの触れ合い

④アドレナリンが出る

 スポーツ観戦など。

セロトニンが出る場合

 鍋磨き、掃除、散歩など

⑥誰かに甘える

 家族、友人などに甘える。優しくしてもらう。

⑦傷を治療する

 きずを手当する

 カウンセリングなど

 

他にも何かある気はするけど、ざっと思い付くのはこんな感じです。

色々思い巡らせて、

 

体を楽にする→心も癒される

 

心を楽にする→体も癒される

 

という癒し方向があるのかな、と思った。

 

 

続きはまた今度考えよう。

 

恐竜超世界 感想 CG良かった

NHKスペシャルの、恐竜超世界をみました。
CGの恐竜の重量感が良かったです。
恐竜CGはサイズの割には軽そうに見えちゃうことがよくありますが、すっごく上手に出来てるCGでした。重みといい動きといい。今まで私が見た中では最高でした。あともうちょっと重く作ってもいいかなぁ。でも凄かった。背景との合成感が強かったのが残念です。そこが改善されると、もう完璧かもしれません。
CG、ホントにすごかったです。
前に見たピクサーなんてメじゃなかった。あれは古かったのかもしれないけど。
恐竜に羽毛があった話は、もう20年前くらいから言われてましたね。
それを受けて、全身もふもふの超巨大ニワトリみたいなティラノサウルスが作られたり、またちょっとすると、羽毛が減らされて、羽はちょっと背中に飾りでついてる程度の爬虫類チックなティラノサウルスに戻されたり、
思えばこの20年、ティラノサウルスにも色々あったものでした。

今回のCG恐竜は鳥っぽかったですが、やはり少年の心は、鱗に覆われた爬虫類的恐竜の方がときめくのでしょうか。
羽毛生えてた、生えてたって言いつつ、じきに爬虫類的模型に戻されちゃいます。
少年が喜ばないと模型見に来てもらえませんもの。興行的にそこはそうなのかなぁ。
ちなみに私は、鱗びっしりの爬虫類っぽいデザインが好きです。
でも、本当は骨が一番カッコいいと思ってます。

色も分かりそうってずっと言ってますが、まだハッキリしないんでしょうかね。
NHKスペシャルで出てきた恐竜の色も、ホントにそんな色だったかなぁと疑問に思いました。CGチームの色彩設定する人が奔放にやっちゃってませんか。背景から浮きすぎてません?

このように恐竜好きですが、何度本を見てもテレビ見てもほとんど何も覚えません。
時々ちょっとした知識が印象に残るだけです。
一番好きなのは大きくて古い恐竜の骨を見ることです。
こんなのいたんだなあ!
と古代に思いをめぐらせ、
ハッキリ確認出来ないようなことを研究しつづけてる人たちに思いをいたし、
胸ときめかせます。
ときめいてるのが好きなのです。

美術館は賑やかな方が良いと思う

絵を見るのが好きです
独身のころはよく絵を見に出かけたものでした。
私は、絵を見ながらまわりの人と思ったことについて喋りたい。

自分の思ったことも喋りたいし、
人がどう感じてるかも聞き込みたい。

感覚を最大限に開いてイメージを拡げていくのは最高に気分がいい。
それを、そばにいるだれかと語り合いたい。

シュールレアリスムの絵なんて黙って見ててもしょうがないんじゃないでしょうか。
子供と見に行っても楽しい。
そこには妖怪雨降らせがいたり、時間が遡る釘が転がってるのに、どうして皆さんシーンとしてられるのか。


何故、美術館では静かにしてなきゃならないことになってるんでしょうね。

時間帯で分けてもらいたいです。
午前は喋っていい、午後はだめ、とか。露天風呂の男女みたいに日によって、喋り時間をずらしたり。
楽しい美術館になるだろうなと思いますが。

好みのタイプの戦い方

個人的な話を書きます。
戦うか戦わないかといったら、戦います。
ここは戦っておかないとまずいことになるとわかったら、戦います。
戦い方にも各々好みがあると思います。
私は、といえば、ごく柔らかに戦いたいです。
相手には現在戦闘中であることさえも気づかせたくないものです。
正面切って向き合って闘うのはリスクが高い。
へっぽこだから、戦ってると気づかれたら、叩きのめされてしまう可能性が大きい。
アッサリ返り討ちにされるでしょう。
相手の隣に立ったり、懐に入ったり、手を取り合ったり、一緒にくるくる踊ったり、
そんなように付き合っているうち、気づいたらこちらにとっても都合の良い状態に変化してた。
なんということでしょう!
というのが私にとっては望ましい戦い方です。
匠のワザです。
辛抱強く、粘り強く、執念深く、心は広く、です。


そんな調子で、我が家はまあまあ私にとっては居心地いいです。

多分人はみんなこんな具合の、戦い方の趣味があるんだと思います。

どんな場面でも人それぞれというのは、面白楽しいものですね。

LINEで大変だった日記

最近連絡用にLINEを始めた。

何か連絡事項があるとみんなスタンプ送って、ピンポンピンポンうるさくてしょうがないから、通知オフにしておいた。

そういえば私、LINEやってたっけ。どうしたかなあ、とふと思いついて久しぶりにLINEを開いてみた。

未読が70ほど溜まってた。

大変だった。

みんなあのピンポンピンポン煩いの、どうしてるんだろう。

黙って聞いてるんだろうか

がまん強いな、と思った。

 

機動戦士ガンダムⅠ 感想

例のガンダム

一作目をやっとみました。

面白かった〜

やっぱり、突然Ⅲ観てもわからないですね。面白く興味深く楽しめました。

でも、

戦争してる理由はわからない

 

戦争は、急に始まってたんですね。
市民から見ると、何だか急に攻撃してきて、情報も入らず、よくわからない中右往左往して巻き込まれていった感じなのかな。
勢力図くらいの情報は皆が知っててもいいんじゃないかと思いますが、ありませんでしたね。

ジオンの軍事力は連邦軍の1/30って言ってましたね。その差があってジオンが勝つのは難しいんじゃないかしら。

戦力に差があるのになんで開戦したのか。

負けるって思っててジオンから戦わないと思います。

連邦側がジオンに対してなにかしたのでしょうね。

攻撃したか圧力をかけたか追い詰めたか。

ジオンが独立しようとしたのも、連邦側が何かやったせいでしょうし、

主人公サイドの方に非がある

という、珍しい話だったのかなあと想像しています。

連邦政府のやり方が、風通しが悪かったんだか刷新できる仕組みが誰かのせいで機能してないんだか、不満を抱く勢力がジオンとして一つにまとまったのかなあ。

ジオンのザビの家族がみんな軍服着てるっぽかったので、きっと軍人が作った政権なんでしょうね。

ジオンが出来た経緯はよくわかりませんでしたが、シャアはジオンにあって密かにザビ一族に復讐をしてることまでは、1巻でわかりました。

 

これは面白いです

 

みんなを夢中にさせた物語は、こういう話だったんだ!

とやっと分かりました。

ジャンルでいうと戦記物ですかね。

 

戦記物+マシン物(侍)

 

今度こそ、ガンダムがどんな話だったのかわかったぞと心から感じました。

戦記物だからガンダムは刀を背負ってるんでしょうか。侍のイメージで。

 

話>絵

古い絵で、画面は最近のアニメの様には動いていませんでした。でもそれが特には気になりませんでした。

戦闘シーンももっさりしてたはずなんですが、気にはならなかった。

ホワイトベース側は性能頼りだったんですね。頑丈さと火力の強さで性能的に優位だったおかげで生き延びた。

ホワイトベースにしろガンダムにしろ、そんなにいい機体なら大事にして正規の軍で使えばいいのに、囮にしてるってどういうこと!?

わからないことがまた増えて、楽しくなってきました。

映画はダイジェストみたいなので、テレビで放送した分を見たらちゃんとわかるのかなあ。

そんな風に楽しんでるうちに、終わってしまった。やはりアニメ作品だって、

 

お話が面白いことが一番大切

 

なんだな、と思いました。絵は必要最低限の範囲で自然に動いてたら充分なのかもしれませんね。

あまり単調だったり全然動かないのも気になるから、ほどほどに動いては欲しいです。

例えばピアノの森の後半は、ホコリが舞うばかりで気になりました。

あれはピアニストにお金がかかってアニメが作れなかったのかしら。

ホコリがグルグルする画面を見せ続けるんだったら、いっそのこと実写に切り替えて本物のピアニストの手元とか足元や、くもりガラスの向こうでぼやかした全身像とかを見せた方が、面白かったかもしれません。何も動かないよりは飽きません。

アニメの映像に、どのタイミングでどの程度の動きを与えるのが適切なのか、誰か研究してみたらいいのに。と思いました。

多分これは、

 

人間の認知の機能の問題

 

だと思います。

どっかの大学生とかが卒論とかでテーマにしたら良いのに。

と思います。

科学の眼差し

を向けてみたら面白いんじゃないかなあ。

 

さあ、次は2巻目の話を見るぞー!!

 

と、気持ちは盛り上がりました。

 

面白かったです

 

 

 

何でしょう。特別版って。

 

本もありますね