ダンベル何キロ持てる? 感想

ダンベル何キロ持てる?

というアニメについて。

初回を見ました。

変わったアニメですね。

筋トレ紹介に5分かけたとして、毎回15分くらいがお話部分になるのでしょうか。

今後筋トレだけで話が持つのか、どうなるのか先が心配な気もします。変態ばかりがたくさん出てくるのでしょうか。単なる筋肉アニメと見せかけて、何か思いも寄らない展開が待ち受けているのでしょうか。

今回気になるのは学校のデザインです。制服は普通っぽいですが、なんで学校があんなにゴージャスなんでしょう。

お金持ちの女の子のお宅からの寄付でしょうか。

ジムもゴージャスでしたね。

 

なんだろうな?

というのが今回の感想です。

ヒビキのわがままボディがゴージャスボディに変わるのか、マッスルボディにされてしまうのか、それともさらにわがまま度を増すのか楽しみです。

この作品に対する気持ちで一番近いのは、

金魚を飼育する気持ち

だと思います。

夏休み読書感想文の書かせ方

わが家の場合です。

1 本を読む
まず、通しでちゃんと読んだことのある本を探します。
あらたに読めそうなら、何でもいいからとにかく読ませる。
出来れば、子供だけに読ませて自分は内容を知らないようにした方がいいです。

2原稿用紙に向かわせる
とに角原稿用紙に向かわせ、タイトルと名前を書かせます。

2 インタヴュー
読んだ本の内容について聞きます。
聞いたことに子供が答えたら、
「イイねイイね!そういうの感想文に書くことだよ。書こう!書こう!」
と囃し立ててすぐさま書かせます。
筋道とか、組み立てとか、主語と述語のねじれとか気にしてはイケない。
ごちゃごちゃいわずに、気分を削がないように書かせる。
勢いが大切です。
とても疲れますが、エロ写真の撮影に臨んでるみたいな感じで「イイねぇ、いいよぉ~。それ書こう!それが書くことだよ!」と囃し立てます。
そしてどんどん原稿用紙を埋めさせる。
提出するのが目標です。
だんだん埋まっていく原稿用紙を見ていると、こっちも自分の仕事のエンドが見えていい気分になれます。
では聞く内容の例をあげます。

①ジャンル
科学の本か、社会についての本か、お話だったのか、現実にあったできごとなのか、など。
「この本は、ホラーです。」
とか書けばいい。

②表紙の感想と読んだ理由
たくさんある本の中から、何故その本を選んだか聴いてみます。
表紙は重要です。
読んだ理由に大いに絡みます。表紙を見てどう思ったか、から聞いてみましょう。

②登場人物
主役、脇役について
性別、年齢、性格、風体、職業、どんな生活をしているのか
身近に似た人はいるか
友達になれそうか
自分と似たところはあるか
など。

③出来事、課題、問題
作品中で焦点となっていた問題は何か
「主人公はなにに困ってたの?」
とか聴いたらいいです。
同じ問題は身近なところで見たことはあるか。
その問題について、自分はどう感じたのか。
自分ならどうするだろうか。
などなど。
答えたことは片っ端から書かせます。

④主人公の行動
主人公は課題に対してどうしたのか。
それについて、どう思ったか。
自分と同じだったか、違ったか。

⑤結局どうなったか
結末について聞きます
その結果は納得がいったか、おかしいと思ったのか
自分がそのばにいたとして、主人公になんと言ってあげたいか
ナドナド聞きます

⑥結論
その本を読んで、良かったか、つまらなかったか。
何か学ぶところはあったか。
今後自分はどうしたいか。
特に学ぶところもなく、もう二度と読まない。
って言うならそれでもいいんじゃないでしょうか。
義理立てしなければならないものは何もないはずです。

聞き出すそばから書かせるので、後になってから、やっぱりこれについても言っておきたい。と思うことが出てくるかもしれません。
折角書いた文章を消してもう一度書くなんて面倒くさい。

そんなときは、
「さっき書き忘れましたが、〇〇については△△です。さて、話に戻ります。」
などというカンジで無理矢理ぶち込む方向ですすめましょう。
話しが前後したっていいじゃない。
こだわらないタイプの子はチットモこだわらず、そんな方法があるんだ!と喜びます。
目標は提出することにあるのです。

家は低学年の頃はこんなカンジで書かせてました。
今は、インタヴューだけしています。
何が書くことなのかが分からないようなのです。
何でもいいと言われると困るんでしょうね。
聞き出して、「イイねぇいいねぇ~。それ、書こう!そういうの書いていいんだよ!」とやると方向性が定まるようです。

こんな感じです。

よだかの星のダメな感じの感想

私には歌心がないのですが、文学の素養もありません。
なくても別段生活には困っていません。
そんな私がよだかの星を読むとどんなことを思うのか試しに書いてみましょう。


物語の主人公は夜鷹でした。
夜鷹を見たことはないのですが、記述によると、味噌を塗ったような斑模様の顔をしているらしいです。茶色系の鳥かな、とイメージしました。羽は強く飛ぶのは得意なようです。足は貧弱で地上を歩くことは苦手。口は耳まで裂け、夜間、大きく口を開け、飛び回って虫を捕食するようです。夜行性です。
彼は鳥仲間からは、姿が醜いということを理由としてくっつけて、鳥社会のヒエラルキーの底辺におかれています。踏みつけにすべき相手だ、ということが鳥仲間の間の常識になっています。常識的に振る舞うのは、社会人としての嗜みですから、皆で夜鷹を酷く扱うのです。夜鷹を庇い立てでもすれば、きっと、かばった自分も夜鷹と同じ底辺に落とされてしまうという雰囲気もあるのです。空気の悪い集団です。下手なことはできません。

こういう人たちを見ると、責めたくなるのは人情です。
でも、そう責められたものでもないんじゃないかな、と私は思います。
深くはいちいち考えないのも、集団の雰囲気に従うのも、これはこれで大事な性質なんじゃないかと思うのです。多分、こういう集団だって、人類の進歩と安定にとても貢献してるはずです。それはそういうものなんだなって思っておけばいい。こういう性質を責めるのは、責めるほうがワガママ言ってることになると思う。朝顔に、冬咲かないなんてひどいと文句を言うようなものかと。
ただ、私個人としてはあまり付き合いたくはないです。ついうっかりこういう集団と関わってしまったら、目立たないようにジワジワと距離をおき、あれ、そういえばあの人どうしたっけ。いつの間にかいなくなってたね。え?誰の話?そんな人いたっけ?覚えてナーイ。そんなことよりさあ。。。という感じで離れておきたい集団です。こういう集団の一員になるのであれば、いっそ一人ぼっちのほうがよほど心愉しく暮らして行けます。
ところが、鳥たちも夜鷹もこの集団からは離れられないようなのです。ここに所属するか死ぬかの二択しかないらしいのです。この話はそこが不思議で納得もいかないところですが、そうだと言うならしかたありません。そういうことにしましょう。
さて、そんな集団の中でも、鷹のよだかの嫌いようは一番強いようです。他の鳥は、所属集団で夜鷹を嫌うことになってるから、という理由だけで夜鷹に辛くあたっていました。嫌う理由が自分発の感情ではないのです。それなのにこんなにひどいことを出来るのかと思うと、非常に恐ろしい。多分こういう人たちが最も恐ろしい。本当に、あまりつきあいたくない人たちです。鳥だけど。それはさておき、鷹です。鷹には夜鷹を嫌う理由が他にもあった。名前に自分と同じ、鷹が入っていたから。これは彼にはどうしても許せないことだったようです。名前を変えるか、死ぬかのどちらかだと迫りました。なんとも身勝手です。でも鷹は、自分の主張にこそ正当性があると信じています。物語世界の鳥社会の常識的に考えて、そうだからです。夜鷹は蔑むべき存在なのです。常識であり正義でもある。だから、鷹は一つも間違っていない。自分は正しいと信じています。
こういうのも、珍しいことではありませんね。世の中こんなこといっぱいある。
夜鷹サイドからしたらオカシイよ!と思うことなのですが、わがまま言うなと、かえって夜鷹側が身勝手なことを言っているかのようにそしられます。
そこから夜鷹は、どうしたことだか変な方向に行きます。

皆が自分をいじめ、鷹は自分を殺そうとしている。名前を変えることを拒否したので、明日はきっと殺される。でも、自分だって虫たちを食べて命を奪ってる。こんな世の中は嫌だ。

解脱だ。
そうだ、星になろう。

もう、どうしちゃったのかと思いました。確かに奪い奪われするのは嫌な話ですが、星の世界に逃げるしかないのでしょうか。星の世界は美しいけれど、そこは冷たく暗く、悲しみと苦しみが凍りついたような世界です。美しく輝く悲しみが永遠に凍りついて残ります。
美しいけど役には立たない。
腹の足しにもならなければ、ケツも拭けない。
本当にそれでいいのか。もうチョット頑張れないものか。
命というものは自分の物ではありません。自分自身も自分のものではありません。それは何かのうちの何かであり、ここに現れた何かであり、ちっぽけな気持ちのようなものでどうこうできるものではない。なにを言ってるかわかりませんね。この辺はあまり気にしないでください。ともかくも、生まれてきて生き始めたのなら、生き終わるまでは生きるより他にありません。
名前を代えろと言うなら変えたって良かった。なんと呼ばれようと気にしなければいい。鳥社会からは抜けられないようですが、所詮多くの鳥は昼間しか起きていません。会わないようにしようと思えば会わずに済ませることも出来る。辛い日もあるでしょうが、誰も、心の中までは立入ることは出来ません。広大な自由の土地を、そこにつくればいい。どんな名前で人が呼ぼうと、自分が自分として生きていくことはできます。何も、他人が他人の都合で下した評価を、自分までが信じる必要はありません。
それに、物事はずっと同じ状態で続くとは限りません。分かってくれる人が、いつかは現れるかもしれない。
そういう可能性というものは、いつでもゼロではありません。人は変わる。変わると、今度は、まるで自分は最初からそうだったみたいなでかい顔をするのもまた一興です。鳥だけど。この場合だったら、夜鷹は何も悪くないのにいじめるなんて皆オカシイよ!と言い出す。自分だっていじめていた癖に、まるで自分はいじめたことなんて一度も無いという顔をします。そういう自分についてどういう認識でいるのだろうかと不思議に思いますが、まあいいでしょう。変わったのなら。過去は問わず、結果を大事にした方がいい。
そもそも、他人は責めてもしょうがない。どうにもならない。つまり、全く役に立たない。
他人というのは何をどう考えどうするのか計り知れないものですが、今現在の行動がコチラにとって都合がよく変わってくれたのなら、もうそれでいいでしょう。
責めても何も変わりません。
人は信じるものです。
信じることを選ばなければならない。
恨んだり責めたりしたくはなりますが、それは建設的じゃない。
憎んだり恨んだり悲しんだりして非建設的に生きるのと、建設的な気持ちで信じて生きていくのと、どちらが気分がいいのかという選択の問題です。
自分が生きているうちには望みはかなわないかもしれません。でも、変わる可能性がゼロではないなら、信じなければならない。
それは、多分一番幸福感のある生き方です。
その可能性を信じていようとしなかったことが、よだかの失敗だったのかな、と思いました。
でも、一番おかしいのはその集団から離れられないという前提だったことだと思います。

以上、よだかの星感想でした。

育児観でギャップを感じるとき

そういう経験はほとんどの人があるんじゃないかと思うけど、いい加減子に従っといたらいいような世代の人たちは、年の功を主張したいみたいだ。
育児関係は特に。

それはこっちのテリトリーに土足で踏み込む行為なので、イラッとするのは仕方がない。

そんなとき私はどうしてるかと言うと、
ご心配ありがとう。
ご苦労されたんですねぇ。
まあまあ私もゆるっとがんばりますねぇ。
くらいな感じでサラッと聞き流す。
ところで、今年は体調どうですか?
って持ってくと、子に従ったほうが良いような年の人たちには自分の体調が最も大きな関心ごとみたいなので大体話は流れていく。

そして後でこんなところで、イラッとするした気持を吐きだす。

子供に個性のあるように親だって個性があるのは太古の昔からのことなんだよ。
人類が未だに滅亡してないのは、育児方法とかなんとかは、思うより些細な問題だからなんじゃないの?
イインダヨ。
みんな自分の好きにやれば!
まあ、程度はあるとは思うけど、多分私の育児は常識の範囲内には収まってると思う。

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老人とマシン

いずれやってくる超高齢化社会
老人は自立しないとならなくなる。
多分介護マシンを取り付けられる。
最初は歩行の補助用。
腰のサポートや膝のサポートをしてくれて、働ける期間や、トイレや風呂に一人で入れる期間を長くしてくれる。
ぼけて来たら、生活全般の面倒を見るんだろう。
とにかく世話がかかんないように。
なんか私達の世代はあまり長生きできなさそうに思うけど。
AIに仕事を取られるからって、今小学生にプログラムだなんだをやらせようとしてるけど、本当にそんな世の中になったとき、仕事を奪われてニッチもサッチもいかなくなりそうなのは子供たちよりもその親の世代の方なんじゃないの?
同じ仕事の求人に、年寄りと何にも出来ない若い人が応募してきたとして、多分若い人の方を取ると思う。
今何も出来なくても吸収力ありそうだもん。

と思ってる。

本当に勉強しなくちゃならないのは親の方なんだろうけど、多分親世代は自分が勉強するのは嫌なんだろう。
お金を払って、子供に勉強させるのは好きだけど。
だから子供向けのプログラム教室が不安を煽ってくる。儲けるために。大人向けは流行らないし儲からない。だから大人は大丈夫みたいなふりをする。

それでも何となく、そんな時代になる頃には、マシンのインターフェースはもっともっと分かりやすくなってるんじゃないかという気がする。
今よりもっと直感的にわかるデザインが開発されてる、と。
中身が謎でも直感で操作方法が分かれば、誰もが扱うことは可能。


というわけで、そんなに慌てなくても大丈夫なんじゃないの?
というのが私の予想。

さて、当たるだろうか。
楽しみだ。

チャンネル権の後悔

チャンネル権というのは家庭内の地位を表していると思う。

子供の頃、実家では私にチャンネル権はなかった。絶大な強権を握っていたのは母だ。
今もそう。
耳が遠くなった母はすごいデカイ音でテレビを見る。
そして、お前の声は小さくて聞こえないと言う。
テレビを消したらもっと話し声が聞きやすいよと言っても、それは絶対に嫌みたいで消さない。
何故だろう。
誰もいないリビングでも、テレビはずっとつけて置きたいらしく
誰も見てないからと思ってテレビを消したり、チャンネルを変えたり、音量を変えたりすると、怒られる。
なぜだかはわからない。
「老いては子に従え」
ということわざを思い出す。
諺になるくらいなので、ミンナよっぽど老いたとき子に従うのは難しいんだろう。もうずっと大昔から。
老人は言うこと聞かないのが世の常なんだな。

で、チャンネル権。
今も私にそんなものはない。
夫が強権を握っている。
次が子供である。
私の地位は相変わらず低い。
こうして低い地位に甘んじてしまうのはきっと、子供時代の実家での私の扱いに問題があったに違いない。恨めしい。あと、性格。

チャンネル権は、やっぱり子供時代に争っておいた方が良かった。

歌手の息継ぎ

歌心はないんだけど、
歌手の息継ぎが気になるときがある。
息吸うときに

ヒィッ

って鳴る人と鳴らない人とがいる。
鳴る人はわざとやってるのか?
あの

ヒィッ

は曲の中で、何かいい効果があるのか?
聞く人の気分を落ち着かせる。とかなんとか。
だったとするならば私の気分はちっとも落ち着いておらず、私の聴き方が間違っているということになる。
でも今まで、

ヒィッ

について、音楽の授業でも何も習った事もなかったし、教科書に何か書いてあった覚えもない。

本当は、


ヒィッ

に対する正しい見解と常識と態度というものがあって、それをよく知った上で、世間のみんなは平気な顔で過ごしているのだ。
私一人が、ちゃんと物がわかっておらず、


ヒィッ


が何かをこんなに気にしてしまっているのだ。

私は何を、どう間違ってしまったんだろう。
気がつくととても気になり、

ヒィッ

にばかり聞き入ってしまって、肝心の歌がどんななのかちっとも耳に入らなくなる。

こんなんじゃ駄目だ。
こういうところが、私のダメなところなんだ。

ヒィッ

を聞いていると、そういう風に思い至る。
気が付かなければ良かったのに。と。思う。

早く真当な歌心を身に着けたいけど、もうこんな年だもの。一生ダメなんだろう。

どろろ感想 真実はいつも一つ

アニメどろろを観ました。

終わりまでみました。
以下、やっぱり仕方がない考え事です。


見終わって、何やら落ち着かない気分がして仕方ありませんでした。

本当にこれはこういう話なのか。
これで合ってるのか。

モヤモヤと違和感があって、どうにもしっくりこない。腑に落ちない。
何かがおかしい気がする。
直感が、良く考えろと告げてくる。

人の話を聞いてそう感じるときは、やはりどこかに隠し事があるものです。

この物語には、何らかの秘密があるのだという前提で、どろろの話を振り返ってみることにしました。


1 協力者琵琶丸

物語の語り手は、琵琶丸というかたちをとっています。彼は何者なのでしょうか。傍観者という立場を決め込んでいましたが、話中、どこにでも、都合のいいときに現れていました。

物語に何か隠されたものがあるのならば、語り手である彼もまた、その隠し事に関係している、ないしは協力関係にあるのだと思います。

 

2 秘密は誰のものか

隠したい秘密をもっているのは誰なのか。
タイトルはどろろでした。では、この物語はどろろについての物語だったでしょうか。
違います。
物語を通じて、どろろは特に苦しみも味合わず、さほど成長もしていません。己の殻も枠組みも微動だにしませんでした。常に物語世界の中心近くにいて、タイトルにまで冠されながら、です。
私達の前に広げられていく物語の骨格は、百鬼丸の方にありました。描かれていたのは、醍醐家という機能不全家族で虐げられてきた百鬼丸少年が、苦しみつつも家族と向き合い、自立に至る物語だったと思います。物語らしい物語でした。まるで彼が主役のようなお話でした。
そしてずっと彼の傍らにあって、健気に、献身的に彼を支え、ときには方向づけもして、百鬼丸少年を前へと推し進めてきたのはどろろです。
この物語を生きていたのは百鬼丸少年でした。が、目立たぬように、この物語を推し進めていたのはどろろでした。自分に注意が向かないよう。百鬼丸の方へ、皆の目をそらそうとしているかのようでした。
言及の少ないところにこそ秘密は隠れているはずです。
どろろには何か秘密がある。
そもそも彼女には、


性別
背中の入れ墨


という2つの秘密がありました。
この2つだけではすまない、もっと大きな秘密があるのかもしれない。
そういうつもりで、物語を振り返ってみます。


3 隠し事の匂いのする場所

物語の中で、隠し事のありそうな臭い部分はどこなのか、考えてみます。
この物語には、たくさんの妖が出てきました。物語だから、妖が現れて当たり前というわけではありません。この世のすべての物語に妖が出てくるわけではないのです。妖は、物語がそれを必要とする場合にのみその物語に現れます。お話に出てくる妖には、出てくる意味があるはずです。
そのへんは、夜見る夢と同じです。急に妖なんて現れない。現れるには、現れるだけの意味ないしは必要がある。
この物語では、どうだったでしょうか。
物語の骨格は、壊れた家族の間で苦しんだ、百鬼丸少年の心の戦いと成長でした。こういう話の、どこに妖が必要なのか。物語は妖を必要としていません。なくても語れる話です。物語に妖という要素を取り込む為に、仕方がないから醍醐景光に鬼神と契約させた。そう言ってもいいくらい、妖に存在感がありませんでした。
では、不要なものが何故語られていたのか。

煙幕。言い換え。

妖の出てくる場面のどこかに、何かを隠しているはずです。


4 鬼神との契約と欠損

鬼神との約定で百鬼丸は身体の12箇所の部分を奪われたということになっていました。では、鬼神がいなかったとしたら、百鬼丸は普通の人だったのでしょうか。

おそらくですが、私は百鬼丸少年はどこかに障害がある少年だった。それは多分目だったのではないか、と思っています。

目が戻るのは、物語の最後でした。そして目がもどった百鬼丸少年は、物語世界から早々に消えてしまいました。まるで多くは語りたくはないとでも言うように。

百鬼丸は盲目の少年だった。

ここでは、そうだったと言うことで話を進めます。


5 特殊な妖

出てきた妖の中で、他と違うものはどれでしょうか。

人型をしていて人語を解する万代、マイマイオンバ。

唯一名前が出なかった鬼神である、12番目の鬼神。

2回に渡って闘った蟻地獄。

途中まではただのサメだったはずの二郎丸。

この辺りの妖が、何か特殊な感じがします。


万代とマイマイオンバ


万代では、旅人を生贄に妖に捧げ、人々は富を得ていました。

鯖目では、身寄りのない子供たちや旅人を生贄に妖に捧げ、人々は富を得ていました

この二つの話には、人が妖を利用しようとする、という共通点がありました。それは醍醐が鬼神と約定を交わした話とも共通します。

妖と人とは取引関係を結ぶことができるという事を補強する為の話だと考えてもいいと思います。

けれどコレを事実だったと考えるなら。

妖がいなかったとしたら、どんな話になるのか。

万代では、旅人を村人が襲い、殺害して金品を奪いとって暮らしていたという話になります。この村を訪れた百鬼丸たちは、妖ではなく、襲ってきた村人を撃退し、金の在り処を突き止めた。突き止めただけでは無かったものと思われます。

鯖目では、里人が旅人を襲い、金品を奪い取る。またかつては寺に集められていた、身寄りのない子どもたちを殺害して寺を燃やしていた。子どもたちには奪いとるべき金品など無かったでしょうから、人身売買があったか、飢饉にみまわれたときに、食料とされたか。妖の所業としたくなるような何かをしたのです。この里でどろろは、蔵に侵入します。そして油を撒き火をつけました。そこでどろろは、子どもたちの霊に助けられました。助けられたのはどろろだったのでしょうか。山中の怪しい蔵には、米と油とマイマイオンバの子どもたちが隠されていました。ほんとうにマイマイオンバの子どもたちだったのか。子どもたちが犠牲になっていたのは、過去だけのことだったのか。どろろは何故、火をつけたのか。火をつけたことで、里人は皆、蔵の前に集まりました。やぐらにも火をつけていたから、見張りも出来なくなっています。火災のドサクサに紛れて、監禁されていた子どもたちを逃がした。こんな風にも考えられると思いました。


寺の子供たち


鯖目の里でおきたこと。

寺にいた身寄りのない子どもたちが殺害され、寺が燃やされました。

同じような出来事は、他にもありました。蟻地獄回です。ここでは珍しく2回に渡って妖と戦いました。そしてミオとの交流が描かれた。描かれた事は煙幕なのですから、詳しくは描かれなかったことを見てみます。寺に集められた子供たちと、その殺害、寺の炎上です。鯖目であったのと、同じことがあったのでしょう。ここで子供たちを搾取していたのは、醍醐のサムライでした。

度重なる飢饉の中で、人々は、どう生き延びていたのか。

寺は燃やされ、関わっていたミオも殺され、証拠は消されました。


二郎丸

この鬼神は不自然でした。途中まではただのサメだったはずです。けれど途中から鬼神となり、足を持つことになった。

このとき、イタチにさらわれたどろろが、父が集めた金品をイタチとともに見つけました。攫われて無理に協力させられた、というからには、多分逆に積極的だったのでしょう。多宝丸たち醍醐の勢力は不知火という鬼神の仲間だった少年が、爆弾によって退けたことにされていました。宝探しに関係のない2つの勢力は、話の本質とは関係ありません。無視して構わないでしょう。

多宝丸は来なかった。

不知火はいなかった。

二郎丸はいなかった。

気になるのは、二郎丸の途中からの鬼神へのすり替わりです。作中、同じように、途中からすり替わったことが疑われる人物がいます。

どろろです。

どろろはいつから女だったのか?

どろろの両親は、どろろを男の子として育てていました。であればどろろは、素直に男の子だったと思っていいと思います。けれど現在、どろろは女です。どこかで人間がすり替わったからではないのか。

どろろについては、年齢も明かされていません。年端もいかない女のコ。おっかちゃんを恋しがるなどとってつけたように語られていましたが、その言動は年齢以上に聡く、幼さを感じる事はありませんでした。

思うのですが、百鬼丸少年が盲目だったとして、どろろが小柄な女性であったとするならば、年齢をごまかし、子供のふりをすることもできたかもしれない。

背中の入れ墨も実に怪しい。温めなければ見えない。これは、本来ない入れ墨をあると言うための言い訳にも聞こえます。盲目の百鬼丸には確かめようもない。

どろろの父の財宝のありかを知っていて、探したがっていたのはイタチでした。最後にどろろ親子と会ったのもいたちです。どろろ親子が死亡したとき、どろろに成り代わったのは、イタチだったのではないでしょうか。イタチは、実は女性だったのです。

不知火の回にはそんな秘密が描かれている。

そのように思われてなりません。

そして最後に、財宝をそのままにどろろは島を去ります。隠しもせずにです。

財宝は、実はここには無かった。そういう意味だったのだと思いました。

この話からは、

イタチ=どろろ=女性

ということを読み取っておけばよいのではないかと思います。


12体目の鬼神


12体目の鬼神は、名前も判明していません。他の鬼神の持っていたはずの部位を奪ったりと大活躍でしたが、その最後はあっけないものでした。

この話で、最後に残った事実は何だったでしょうか。

多宝丸死亡。

縫死亡。

樹海死亡。

どろろと百鬼丸は城に入り、生きて城から出る。

城は炎上して消失しました。

そしてこの後、どろろは、金ならあると公言し始めます。


その金はどこから得たのか。

浅倉軍が攻め寄せ、対応に追われているタイミングを見計らい、どろろと百鬼丸で城に押しいった。そして多宝丸、縫を殺害。そもそも存在していなかった寿海はここ死亡したことにする。

城の地下に隠されていた宝物を奪い、火をつけて逃げた。


この話の真相はそういうことだったのかもしれない。





後日文章のおかしいところは黙って勝手に修正加筆します。

誰も読まないと思うのですが、一応。

ここ迄読んだ人、読んで下さりありがとうございます。楽しんでもらえてたら良いのですが。

私は、物思いにふけってて、まあまあ楽しかったです。最後は書くのが疲れてしまいましたが。

私もあなたも、これからも、楽しいことがいっぱいあるといいですね。

カチカチ山のはなし 真実はいつも一つ

カチカチ山の話です。

こんな話。
おじいさんとおばあさんが仲良く暮らしていた。おじいさんが畑仕事をしていると、いたずらたぬきがやってきて、せっせと働くおじいさんをからかって邪魔をした。腹を立てたおじいさんは、タヌキを捕まえる。しばりあげ、家に連れて帰った。おじいさんはおばあさんにタヌキ汁を作るように言って、でかけてしまった。タヌキはおばあさんに命乞いをし、かわいそうに思って逃がしてくれようとしたおばあさんを殺して汁にした。おばあさんに化けると、帰ってきたおじいさんにその汁を食わせた。おじいさんが、うまいうまいと喜んですっかり汁を食べてしまうと、正体を現し、それは婆汁だ、貴様はババアを食ったのだ、と嗤って逃げた。
おじいさんがあまりのことに泣いていると、うさぎがやってきて慰めた。事情を聞いたうさぎは、タヌキを殺してお婆さんの仇を打つことを約束する。
うさぎは、タヌキをさそって芝刈りをする。タヌキの背負った芝に火をつけ、背中に火傷を負わせる。
次に、背中の火傷に、薬と称してとうがらしを塗り、苦しめる。
最後にうさぎは、タヌキを漁と騙して沼に誘い、泥舟に乗せ、沈めてしまった。
こうしてウサギはお婆さんの仇をうち、その後も時折おじいさんの家を訪ねた。

さてさて、ここからしょうがない考え事をはじめます。

とりあえず事実関係に着目します。
おばあさんは、何者かに殺されました。
そして、バラバラに解体されていました。
その現場に、おじいさんとうさぎがいました。
私は、おじいさんとうさぎを非常に疑わしいと思っています。ひょっとするとうさぎは、おじいさんの浮気相手だったかもしれません。
何の証拠もありませんが。

もしもこの現場、ないしは事後であっても血塗れの後を村人に見られたとしたら、おじいさんとウサギはどうするでしょうか。
自分が疑われないための嘘をつくはずです。
先ず、自分たちは殺害時現場にはいなかったことにするでしょう。
誰か別の犯人に罪をなすりつけます。
それが本当らしく聞こえるように、相手を非道な人物にしたてあげたり、トラブルがあったように装うでしょう。
自分たちの夫婦仲も良かったように言うでしょう。
現場にいたうさぎが疑われないよう、善意の人だと装うでしょう。
運び出しやすいようにバラバラにした遺体も、タヌキが婆汁を作ってこうなったと、それらしく説明したのではないか。

そうして仕立てた言い訳が、例のカチカチ山の話だった。

そんな風にも考えられるかもしれない。
私はそうも思います。



ナンテ
(*ノω・*)テヘ

好みのタイプのおはなし3 見るなの座敷

何の話が一等好きかしら、と考えてみて、ふと浮上してきたのは

見るなの座敷

でした

こんな話。
男が山奥で道に迷う。山を彷徨っていると、山中に屋敷を見つける。困っていた男は一晩泊めてほしいと願う。すると快く招き入れられる。屋敷には美しい女が一人で住んでいて、男をもてなしてくれる。しばらくすると女は、用があるからとでかけてしまう。男はその間の留守を頼まれるが、13ある座敷のうち、12は自由に見て回って良いが、一つだけは決して見るなと言われる。男は12の座敷を見て回る。いずれも、ふしぎな光景の広がる美しい部屋だった。我慢できなくなった男は、見るなと言われた座敷の扉を開けてしまう。そこにはうぐいすが鳴いていて、男が座敷を開けると逃げて行ってしまった。するととたんに屋敷も消えてしまい、男は山中にぼうぜんと立ちつくすのだった。

こういう、なんだかよくわからないものの話がワタシの好みのど真ん中です。


なんだかよくわからないものは、人の気配もない山奥に、ふと、そこにあるのですが、それはそれは美しく魅惑的なのですが、扉を開けて見てしまうと逃げるのです。
あったという気配だけ残して消えている。

こういう、この世ならざるなんだかよくわからないものの話がいいですね。

好みのタイプのおはなし2 お話4分類

先日の続きです。
さて、ツラツラ思うに、お話と言うものは話の前と後で何が変わるかという関心で見てくと、4つに種類分けできるのかも。

①自分は変わらず、世界が変わる
 (世界の見え方、枠組みが変わる。特に成長はしない。主人公は新たな世界を発見する)
②世界は変わらず、自分が変わる(自分の殻が壊れ、成長する。一皮むける系。主人公は苦悩する)
③自分も世界も変わってしまう
 (多分あんまりこういう話はない。世界の変化に恐怖してるときに、人生の苦悩なんて味わってる場合じゃないし、人生の苦悩の中で喘いでるときには、世界の変化に気づけないと思う)
④自分も世界も何も変わらない
 (日々、事件がおきたりイベントがあったりするだけ。歴史ものとかもきっとこっち)

長い事続くドラマや漫画は④
③はあんまり考えにくいです。ダブル主人公のバディものにしてそれぞれに役を振ったところで、お互い相手の話なんて全く聞かないと思う。話にはならなさそうです。

で、②は面倒臭い。疲れる。
楽チンに楽しむなら断然④になる。

好みのタイプのおはなし

好きなタイプの話。

①どっかわからない世界に行って、不可解な体験をして帰ってくる。または帰れない。

②何かわからない物が日常に現れて、去っていく、または去ったように見せかけて潜んでいる

こんな感じの話が好きです。
どちらの場合でも、体験をした本人の住んでいる世界が、体験以前と変わってしまいます。
この住んでいる世界の枠組みの破壊が何となくイイ。


ジャンルでいうと、ホラーやSFにこんな話が多いです。
浦島太郎、パラレルワールド物、神隠しものが①
かぐや姫、瓜子姫、鶴女房、異星人ものや幽霊はまさに②です。
ただ刺激的なものではなくて、世界とはこうである。と信じて安心して住み込んでいたのに、それが変わってしまって、もう体験する前のようには戻れない、というのが好きです。
何か落ち着かない、ザワッとする感じがいい(≧∇≦)b
おどろおどろしければなおいい(≧∇≦)b
例に多く上がっていますが、昔話にはこういう話が多いです。


枠を壊すというと、自分というものの枠を壊す話もありますね。
主人公が人生の問題について、悩み、苦しみ悶て、最初はうらんだり怒ったりしているんだけど、マイナスの感情が振り切れるだけ振り切れたところで何かしら気付いて、赦せる自分に変化成長する系統の話です。
夫婦の不倫問題のドラマにこういうのが多いですね。
大恋愛とか大失恋とか裏切られた友情ものとかも、こういうジャンルでしょうね。
そっちの、自分自身の枠が壊れて、再生するという話は、それほど好きでもありません。そういう話は何だか疲れるから、たまでいいです。

イロイロあるけど、世界も自分も全く揺るがない話もありますね。
ただ事実として、淡々と事件が連続していく。
ガンダムってこの系統かなって気がします。
ほんわか系統だと興味が全くわきませんが、ドライな調子ですすんで行くなら、こういうのも悪くないかなって思います。推理ものドラマとか。先生ものなんかもそうですね。
中毒性があるのはこういう系統だと思います。

巣立ちのとき

子供が思春期に突入。
すっかり生意気になりました。
甘ったれてるくせに、えばりくさっています。
あれだけ大きな態度でクソ生意気な口をきいておいて、まだかわいがってもらえるつもりでいる。
そういう様子はとても滑稽で、いまいましく、なぜだか物悲しいような気もします。
うちの子は、まだしばらくは、私自身よりも、親の役割を果たす人を必要としているようです。
私にそれがうまく出来てる気はしません。でも、子供の心は、ただの積み木を飛行機に見ることができる。同じように、ただの私に母なるものを見ることができているらしい。ここまでのところは。
うまく出来てるものですね。
これまでちゃんと育ってきたし、立派に反抗もしているし、しっかり大人にもなっていくんだろう。
近頃やたらとのしかかって甘えてくるのは、一人で立つ前の最後の甘え家なあと感じています。
寂しくはありますが、この子が、母である私をすかして、私である私がいることにも気づいてくれるのかも
しれない。改めて出会うときが来るのかもしれない。と思うと、その時が待ち遠しくも思われます。
お互い、元気に生きていなければ。
と思いました。

機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編   はじめて見たガンダムの感想 

こんばんは

たいそう久しぶりのブログです。

入り方覚えてました。覚えてたことに自分で驚きました。

 

さて、今日のテーマは機動戦士ガンダムです。

私はガンダムはたいして興味がなく、ちゃんと観たことはありませんでした。

夫がガンダム好きで、しばしば何かのガンダムを見ているので、うっすら知ってるという程度でした。

私が知ってたことは、こんな感じ。

 

ガンダムにはいろいろ種類がある。

どのガンダムでも、作品世界は戦争してて、主人公はガンダムに乗って宇宙空間で戦う。

00ガンダムは主人公がきっとテロリスト。

最初のガンダムは、アムロが主人公。ライバルが赤い彗星のシャア。アムロはお父さんに殴られたことがない。

どのシリーズにもハロがいる。

 

という程度です。

 

で、今回夫のすすめで「機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編」を観ました。

テレビ放送のダイジェスト版だから、ざっくり知るにはおすすめだよ、ということで。再生途中洗濯を干したり洗い物をしたりで観てないところもありましたが、まあだいたいは観たのです。夫は、私に見せるという名目で自分が観たかっただけではないかという気もしました。音量はやけに絞ってて聞き取れないところがいっぱいだったし、洗濯ものを干してるときも再生を止めてくれなかったし。それでもまあ、大体はみたのです。夫の解説つきで。

それで、感じたことを今日は書こうと思い立ちました。

 

その1 話の内容に驚く

こんな話だったの!?と驚いたポイント

 

とっさに反撃するのがすごく得意な、高性能の兵器のような、たぶん本人は何も深くは考えてない少年と、

さほど大きな野心も大望もない、ただ執念深く私怨を晴らそうとしてる自分の感情だけで動いてる男が、

宇宙戦争という大舞台の上で、

お互い同士は特に個人的には何の恨みもないんだけど、長年のライバルとして命を狙いあう。

 

まさかそんな話だったとは思わず、すごくそのことに驚きました。

なんか大きな望みとか、理想とかあるのかなぁと思ってたら、ないんだ!

 

実はすごく、無欲っていうか、つましいっていうか、身の丈を知ってるっていうか、うん。そうだったんだね・・・と感じました。率直に言って。

いえ、それでももちろん、二人ともすごいんだけど。すごいんだけど・・・。

すごいですね。

大きな希望や理想や理念なんか何にもないのに、そんなにスゴイとこまで辿りついてるところがすごいなと思いました。

脇役たちの方がいろいろ考えてたみたいね。

 

その2 何の戦争なのか

 

なんで戦争してるのかわからなかった。

誰と誰が何を目的として戦争をはじめたのでしょうか。

お互いの分布って、宇宙の中でどうなってたんでしょうか。

ほかの勢力ってなかったんでしょうか。

謎がいっぱいでした。

それで、最後はお互い体力切れみたいな終戦です。

気になったのは、ソーラ・レイ。1発しか撃てない最終兵器のようなものらしかったですが、いくら停戦したって技術があればまた同じものが作れます。圧倒的にソーラ・レイ技術を持ってる方が有利だと思うんですが、それで無事に戦争を終えられるんでしょうか。よくわかりませんでした。

 

私がちゃんと観てなかったせいなのかもしれないし、とりあえずいきなりシリーズの最終巻から観たせいなのかもしれません。

仕方がないので次はシリーズの一番最初のやつを観ようと思っています。

シリーズ最終話を進めてきたのは夫です。

「おまえはいつも話の結末を知りたがるから、最後のやつ見とけばいいだろ」

と、乱暴なことを言ってきました。

きっと、自分が観たかっただけだと思います。

 

その3 性能UPは正義

 

 マシン → 性能を上げる = 正義

 人類  → 性能を上げる = ニュータイプ

 

人類もマシン同様性能があがればいい。あげたい、あがるんだ。

そういう欲望のようなものを感じました。

性能UPへのあくなき欲求

それはマシンにとどまらず、人類にも適用したくなっちゃった。

人類だって性能アップしたい!

そうだ!超能力だ!

超能力っていうのは最近の言い方ですね。人間が、人間として生まれもった性能を超えた力を発揮する存在は大昔の人も考えてた。

例えば仙人

どっかの山のてっぺんとかで、立派な師匠について霞を食いながら修行して仙人になるというルートが有名ですよね。

たいてい山です。海には行きません。海とは相性が悪いのでしょうか。まるでマシンのようですね。

まあ、そういうものの、新しい言い方なんでしょうね。ニュータイプって。

ララァ仙女っぽい雰囲気の人でした。

彼女の登場は急でした。退場も急でした。

アムロとの出会いも急でした。

そういう急さも、ニュータイプらしさってことなんでしょうか。人類のスピードは超えてるんだよ、と。突然出会って、突然つながっちゃう。

 

ところで、私が今回勝手に思いついた法則なんですが、

不思議な雰囲気をまとった女性は、白っぽいだぼっとしたワンピースを着てる。

かもしれない。

またそのパターンの人を見つけたら覚えておこうと思いました。

 

その4 戦闘シーン

 

話の半分くらい戦闘シーンだった気がします。

2時間の話の中の、1時間くらい戦闘してませんでしたか?

だから戦闘中に、宇宙空間で会話するしかなかったんでしょうね。

画期的でした。

戦闘シーンを好む層。マシン性能にこだわる層。

見せたいターゲットと、物を買わせたいターゲットはそんな男の子たちだったから、そういう話になったんでしょうね。

 

その5 アムロが気の毒

 

アムロはとりあえず反撃が得意なだけで、自分からわざわざ戦いに行くことはない人だと思いました。

実は何も考えてないから、特に何も考えず「必殺」の反撃ができるということもあるとは思います。戦闘の場では殺す気満々野郎ですよね。でも、誰にも攻撃をしかけられなければ、アムロの側から何かすることはないと思う。

なのに、戦争後は危険人物として監視され続けてたと夫から聞きました。

ちょっとそれは気の毒だなぁと思いました。

戦後のアムロの仕事としては、新型機種のテストパイロットなんかがいいのかなぁ。マシンをいじってたら満足してそうな気がします。

 

そんな感じの感想を抱きました。

人生初のまともに観たガンダム

なるほどなぁ、実はこういう話だったんだなぁ、みんなが熱中してたのは。としみじみ味わいました。

有意義でした。